オーム ブール ブヴァスワ
タッサビトゥル ヴァレーニャム
バルゴーデヴァスャ ディマヒ
ディヨヨナ プラチョダヤッ
地球、空間、天国。私たちは、輝きの源からの神聖な光に瞑想します。
それが私たちの心と考えを鼓舞させますように。
(翻訳:マノラマ ‘ガヤトリー・マントラ’)
Jivamukti / Focus of the month
ジヴァムクティ・オープンクラスで使われるテーマです。
オーム ブール ブヴァスワ
タッサビトゥル ヴァレーニャム
バルゴーデヴァスャ ディマヒ
ディヨヨナ プラチョダヤッ
地球、空間、天国。私たちは、輝きの源からの神聖な光に瞑想します。
それが私たちの心と考えを鼓舞させますように。
(翻訳:マノラマ ‘ガヤトリー・マントラ’)
tyaktvā karma-phala-āsaṇgam
nitya-tṛpto nirāśrayaḥ
karmaṇy abhipravṛtto ‘pi
na eva kiṁcit karoti saḥ
己の行為の実りを手放す者は、満足していて依存からも自由です。行為を行なって居る時でさえ、行為を成しているのが己ではないことを知っているのです。
Bhagavad-Gītā 4:20 (The Jivamukti Yoga Chant Book p.18)
“2021/2” の続きを読むby Hachi Yu (ハチ・ユ)
2020年に別れを告げ、私達はうわべだけの脆く築かれてきたシステムや、見えない原子達が世界をどのように変革していくかをはっきりとこの目で観る機会を得ました。私達はこの地球・人類至上最も変化のある時代を経験しています。山火事、洪水、社会的・人種的不正の数々から世界的パンデミックまで…私達の行動や人生の相関関係の行く末を傍観しています。
ヨガス チッタヴルッティ ニロダハ
(ヨガスートラ1-2)
自己を、その思考や心の揺らぎなどと同一視するのをやめると、その時にヨガがそこにあり、自己の本質と同一視できる。それがサマディであり、幸福であり、至福であり、忘我の恍惚である。
“2020/12 Awareness 気づき・意識” の続きを読むयत्करोषि यदश्नासि यज्जुहोषि ददासि यत् ।
यत्तपस्यसि कौन्तेय तत्कुरुष्व मदर्पणम् ॥
yat karoṣi yad aśnāsi yaj juhoṣi dadāsi yat
yat tapasyasi kaunteya tat kuruṣva mad-arpaṇam
Whatever you do, whatever you eat, whatever you give as help to another, even your own austerities and sufferings, O son of Kunti, do everything as an offering to me.
Bhagavad-Gītā IX.27
クンティの子よ、あなたが何をするにしても、何を食べるにしても、他の人を助けるために与えるものは何でも、あなた自身の厳しさや苦しみでさえも、私への捧げものとして全て行いなさい
バガヴァッド・ギータ 9・27
aśraddhayā hutaṁ dattaṁtapas taptaṁ kṛtaṁ ca yatasad ity ucyate pārthana ca tat pretya no iha
-Bhagavad-Gītā, Chapter 17, verse 28
アシュラッダヤ フータン ダッタンタパス タプタン クルタンチャヤットアサディトゥチャヤテ パルタハナチャタット プレティヤ ノイハ
信仰なしに献げ、自己鍛錬し、施しをしたところで何の意味にもならない。それはAsat(アサット)=不真実と呼ばれ、今世においても来世においても無益だ。
–『バガヴァットギータ』17章28番
ヤマ ニヤマ アサナ プラナヤマ プラティヤハラ ダラナ ディヤナ サマディヤヨ シュタヴァンガニ (ヨガスートラ 2:29)
禁戒 勧戒 座法 調気 制感 集中 瞑想 三昧、これらがヨガの八支則である (ジヴァムクティヨガチャントブック 16ページ)
“2020/9 Reconnection 再び繋がり結びあう” の続きを読む
サ エヴァヤム マヤーテ ディヤ ヨーガハ プロクタハ プラータナハバクト シ メサカハ チェティ ラハシャム ヒェタド ウッタマム
最高神との関係性の科学がこんにち私によってあなたに伝えられるのは、あなたが私に対しての献身を捧げる者であり、私の友であるから。献身者であり友である、それ故にこそ超絶的なヨガの科学という神秘を理解できるのである。(バガバッドギータ4-3 ACバクティヴェダンタ・プラブパダ氏の訳文による)
“2020/8 Prerequisites 必須条件” の続きを読む
yaṁ hi na vyathayantyete puruṣhaṁ puruṣharṣhabha ヤム ヒ ナ ヴャタヤンティエテー プルサム プルサルサバーsama-duḥkha-sukhaṁ dhīraṁ so ’mṛitatvāya kalpateサマ ドッカ スカム ディーラム ソームリタットワーヤ カルパテー
幸福によっても、苦悩によっても乱されない者は、確かに解放/悟りに適している。 バカバットギータ2-15
vastu-sāmye citta-bhedāt tayor vibhaktaḥ panthāḥ (YSⅣ.15)
客体は同一であっても、それを受け止めている心が様々であるから、認識も異なる。(ヨーガ・スートラ4章15番)
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-黄鶴楼-昔人已に 白雲に乗じて去り此の地空しく餘す 黄鶴樓黄鶴一たび去って 復返らず白雲千載 空しく悠悠晴川歴歴たり 漢陽の樹芳艸萋萋たり 鸚鵡洲日は暮れて郷關 何れの処處か是なる煙波江上 人をして憂えしむ
伝説にある仙人はすでに黄色い鶴に乗って飛び去ってしまった。この地にはただ黄鶴楼だけが空しく残っているだけだ。飛び去ってしまったあの黄色い鶴は、二度と戻ってはこない。ただ白い雲だけが、千年を隔てた今もゆったりと浮かんでいるだけである。晴れ渡った長江の向こうには、漢陽の木々がはっきりと見え、中州の鸚鵡洲には春の草木がかぐわしく生い茂る。日が暮れてきた。故郷はどちらの方向だったか。川面を覆う靄が私の憂いをかきたてる。
-崔顥『黄鶴楼』より
“2020/6 Opportunities: チャンス-” の続きを読む