非暴力的なコミュニケーション 2009.10

スピリチュアルな実践の鍵(大切なこと)は、非暴力的なコミュニケーションです。 実践する人とは変化の為に活発に働く者をいい、スピリチュアルにあるというのはすべての生きとし生きるものとのつながりを感じるということです。スピリ チュアルな実践は、前向きに、人生に素晴らしい信念を与えてくれるような、相互的に有益な方法で、自分自身とすべてのものとのつがなりをより意識的にすることを促すように活発に機能してゆきます。 スピリチュアルな実践者であるということは、皮膚で仕切られた自我によって動くというよりは、むしろ、魂の揺さぶ りによって活動することをいいます。 この非暴力的なコミュニケーションを通じて、スピリチュアルな実践者はすべてのものの為に自我を開放して、自分自身の意識を高め続けて生きます。

スピリチュアルな進化に対する現代における最大の妨げとは、動物達や自然界への私達の考え方や扱い方です。 毎日繰り返されている動物への恐ろしい虐待についての情報を得た時、多くの人々は絶望感を感じ、圧倒され、自分達の無力さを感じます。また、その行 為をする者達に怒りを感じ、攻撃的になりたがる人々もいます。 これらの攻撃的な感情の結果は、どちらも動物達のためにポジティブな変化をもた らすことはありません。 唯一、実践的な慈悲の意識を通じて、その同じ立場に立つという経験や、すべての生き物(動物を含む)へと慈悲の気持ちを表すなどの 経験に気づくことによって、あなたは人々の意識や心へと影響を及ぼすことができます。 違う表現をすると、ポジティブな変化はあなた自身より始まる必要があ るでしょう−あなたは慈悲の心の化身とならなければいけません。 パタンジャリ師はヨーガ・スートラ2章‐33項にてこう言っています。『否定的な想念に よって妨げられるときは、反対のものを考えるとよい。』

(*否定的想念によって攪乱(かくらん)されたときは、反対のものが念想されるべきである。(インテグラル・ヨーガ(P.112)
憎しみ、怒り、または暴力を振るたいという欲求のような、暴力的な感情があなたの中にわき上がるとき、マインドの状態がその逆になるように努めてください。 他の人々がやさしくなれる可能性を信じ、あなた自身のやさしさの表現力を高め てください。 他の人々が自分自身の無知から気づいていく様子を希望をもって見守っていきましょう。 もしも否定的に彼らを見るならば、あなたの彼らへの 感じ方というものが力を持ち、それが彼らからあなた自身をより遠ざけ、対立させるだけです。(優れた役割を担う 者となるかもしれないのに・・・)。 あなたが動物達を擁護するときには、最初は他の人々より嘲笑されるでしょう。 しかし、この嘲笑されるということが、あなたの説明する技術を磨きあげてくれます。 情報に基づいて、思いやりのある伝え方で菜食主義や動物愛護のメッセージをしっかりと 表現するようになっていくように育ててくれます。 もしも、ヨガ、動物の権利の主張、菜食主義などに関して効果的に伝える人、すなわ ち、スピリチュアルな実践者になりたいのであれば、これら(以下の)考え方は目標を達成するのに役立つかもしれません。

1.耳を傾けること: コミュニケーションの核心。  あなたが述べたい事がらと 異なった内容を理解しあうように心がけましょう。  伝える者ではなく意思疎通をする者であるように務めましょう。 意思疎通をする為には、積極的に耳を傾け、また相手がどのような人なのか聞かなければなりません。相手に共感を持って耳を傾けることが結果として、単なる外面的な現れではなく根本的な原因を変えることができます。  あなたがある方向へとの変化を感化させたいと望む人々との非暴力的なコミュニケーションは、段々あなたを変化させ、共感を育みむことで相手との意見の相違をなくしておおいなる気づきの存在へと導きます。

2.感じること: コミュニケーションの手段。 あたたが他の人々と話す前に、自 分自身へ問いかけてください。  ”自分が彼らと話す時に、彼ら自身をどう感じて欲しいのか?”  マーティン・ルーサーキング・ジュニアは、アフリカ系アメ リカ人を(奴隷として扱われていたことに対して)犠牲者として見ませんでした。 むしろ、強い者であり、健全なものであり、申し分ない者であるとして見ま した。  マーティン・ルーサーキング・ジュニアは憎しみを抱くことはしませんでした。何故なら憎しみは彼のゴールを遠ざけると判っていたからです。彼はすべての人種が調和のとれた状態で共に生活する新しい世界を心に描き(当時のアメリカは、バスでアフリカ系アメリカ人と白人とは、同席できなかったり、座るエリアが違っ たりするぐらい平等ではなかった。)、その崇高な夢から人々に語りました。  キング牧師の話を聞いた黒人達は、キング牧師が見る世界にある黒人の姿のよ うに自分自身を感じました。 黒人自身が不当な差別社会の被害者のままであるというよりむしろ、社会において然るべき地位を獲得しているという理想像と望 みでもって、彼らが公的な権限を獲得することができました。  謙遜的な振る舞いと尊重する振る舞いだけが効果的なコミュニケーションを可能にするでしょ う。  ヨガや菜食主義などのメッセージを誰かに伝える時、伝える人達に非難された気持ちにさせたり、裁かれたりされた気持ちにさせないようにしましょ う。 むしろ、気づきのある状態へと導く意識的な選択ができる能力が向上するよう意識させるといいかもしれません。

3.見ること:コミュニケーションの表現力。 世界を良い人と悪い人に分類するこ とや、犠牲にあう人々と犠牲にする人々という分け方をすることは、より強い分離をもたらすだけで、ヨギとして求める平和な統合ではありません。 菜食主義や動物の権利をあなたが誰かに語るとき、無知であるとか、冷酷であるとか、凶悪な存在であるとかで彼 らを見るべきではありません。 それよりむしろ、思いやりの目を通して、彼らを聖なる存在として、やさしくなれる素質があるものとして見て下さい。 た とえ、彼らが肉を食べていたとしても、それが一時的な状況としてそれがあると見ることはできないでしょうか?  あなたがもし、彼らが潜在的に慈愛に満ち て、哀れみのある者だと見てあげれなかったら、彼らが自分自身を慈愛に満ちて、哀れみにあふれいているとあなた自身がどうやって期待してあげれるのでしょ うか?

4.至福(無上の喜び):成功したコミュニケーションがもたらすもの。 エクスタ シー(無情の喜び)とは生命の真の根源であり、いつでもあなたの内側で脈打っています。 それを認識し、あなたと同じく他の存在(人、動物、植物等の全ての存在)の内側にあ る無上の喜びを祝い、自分自身の内側にも見出しましょう。 他の存在を手なずけたり、言いなりにしたり、利用しようとしないことが、彼らに本当の姿への内観 をする権利を与えることになります。そして、そうすることにより、あなた自身が喜びに包まれて同じ経験を与えられます。 も しも私達(人間)がスピリチュアルに成長して、一つの(生物)種としての生存を望むならば、私達は、他の生命から私達を切り離している偽りから自分自身を解放しないといけません。気づきを見いだす可能性が自分自身の中にあると認識し、他の人々が気づきを見いだすための装置として自分の人生を費やして専心してく ださい。 あなた自身に、相手の気持ちを理解し共に喜ぶ巨大な気持で満たすことによって、あなただけでなくすべての人々へとその気持ちを持つ人を広げてい き、理想の世界を築いていってください。  開放してゆくこと(気付いていくこと)、モクシャ(解脱)はヨガの最終目標です。 そして、エクスタシー、至 福はヨガによりもたらされるものです。
-シャロン・ギャノン 著書Yoga and Vegetarianismより
日本語訳 Yoshi(Mysoul8),Akkie

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