atha yoga-anushasanamNow this is yoga as I have perceived it in the natural world.これこそが、私が自然界において気づいたたヨガである。The Yoga Sutras of Patanjali (PYS 1.1)パタンジャリのヨガスートラ (PYS 1.1)ヨガに真剣に従事している人は皆、同じ理由でヨガにたどり着いています。「もううんざり!」つまり皆行き詰まった状態だったのです。Athaとは、「今」を意味します。しかしこれは単なる「今」以上の意味を持ち、「今から」や「前進する」という意味をも表します。このニュアンスの大切さはこれまで何があったとしても、今から、今後は違ったものになると暗示しています。パタンジャリの最初のスートラで彼は、すべての事にもううんざりだと感じている私達に、直接的に語りかけています。うんざりだという状況に至るまでには皆それぞれ違ったストーリーを持っています。例えば、辛い仕事だったり、薬物中毒の日々だったり、人間関係の問題だったりなどけれどヨガにたどり着いたすべての人は根本的に共通しています。人生のある時期に自分の姿を改めてじっくり見つめなおし、どのくらい素晴らしいのか、どのくらい苦しみがあるのかを考えます。そして、主として苦しみがある という結論に至るのです。苦しみが比較的軽いものだったとしても 「それなりに上手くいっている。けれど、人生には更なる事が起きる という事を知っている。」というように。多くの人々はそこに至りません。古いものを手放そうとしないのです。苦しみを良しとし、受け入れて生活している人さえいるのです。彼らは「他に何があるのかしら?どんな事でもやり切ってみるわ。」と口にすることに疲れ果てるまでに至っていないのです。けれどもこういった私達に対してもパタンジャリは「耳を傾けるべき時です。」と心をつかみ告げるのです。これが最初の言葉「atha」の示す良い知らせです。「shasanam」という言葉は今後私達がすべきことに対する 一連のルール、外部からの規律、また、一連の教え を意味します。「anu」は「それから」もしくは「次の」を意味します。ですから、ヨガスートラは、この教え、そしてスートラにあるこれからのすべての教えは、今この瞬間これらの条件 のもとで最高の理解であると暗示しています。解釈は、あなたの心が経験した事例から成り立ちます。例えば「喉が渇いたから水を飲みます」これはとてもシンプルな事で、私たちはこの事を「喉が渇いたら水を飲まなければならない」という風にまるでルールのようには捉えません。同じように「お腹が空いたから、食べる」ただそれだけです。このスートラでは、パタンジャリは,ヨガもこういった事と同じように自然に起こることですと示唆しています。それは私たちの内側から湧き上がり流れている ものであり、根本的にもし道を外れる事があるとすれば、私たちの人生においてごく自然に起こる事なのでしょう。道から外れる練習 – これこそがヨガの練習なのですもちろん私たちの一部を手放し、自然に湧き上がる知恵や純粋さを払拭することはとても難しいことである。なぜなら 既に習慣化していて、神経過敏にもなっているからである。それらは世の中で生き抜く方法 であり、私たちの一番の防衛策(防衛力) なのです。私たちがいかにしてその術を身につけてきたか、私たちの問題がいかに計り知れないものであるか。しかしパタンジャリは、 私たちを苦しめてきた自然の理に合わない事柄もまた 私達の一部なのです、しかし、私たちはそれを服を脱ぎ捨てるように取り除いてきたのだと言っています。ただ、それはそんなに簡単なことではありません。私たちを妨げるものは、100パーセント私たちの心の内側にあり、それは違った方法で私たちの体を具体化しているからです。つまりヨガの練習は、エネルギーはどこに滞っているのか、私たちの心なのか、肩なのか、お尻なのか、ということをある規律として 私たちに指摘します。けれど、 それは私たちの外側から押し付けてくる規律のたぐいではないということ、またという立場で他人に強いるような規律ではないという事を理解しておくことが重要です。これは、自然に生じる規律なのです。私たちは 練習の中で困難から抜け出していくことが出来るので、 例えそれらが何であれ、困難に直面する事は恵まれている瞬間であり 良い機会なのだと理解します。それは失敗ではなく、何が 私達を他と互いに隔てていのるか、私たちの人生における自然な苦悩、また偏見や固定観念がもたらす働きなどをよく考えるチャンスであり、そしてそれらをただ手放すのです。それは瞬時に行うこともできますが、 慎重に創り上げた鎧兜を簡単に脱ぎ捨てることは難しく、時間がかかることもあります。素晴らしい先生であるダーマミトラー氏はよくこのようにおっしゃいます。「怒って行動してみなさい。」そして嫌になりなさい。けれど先生が言ったから、もしくは規則だからするというのはやめなさい。物事のあり方にうんざりし、それらを変えたい というあなた自身の理由意思で行動しなさい。あなたがやりたいのであればやりなさい。あなたの心と一体となっている冷酷な独裁者を捨てるために。あなた自身の革命のために(行いなさい)。Atha・・・David Life著