2019/12 内側にある知恵の解放

ブラフマナンダム パルマシュカダム ケヴァラム ジュニャナムルティム
ドゥヴァンドゥヴァティタム ガガナサドルサム タトヴァムアシャディラクシャム
エカム ニティヤム ヴィマラム アカラム サルヴァディサクシブタム
バヴァティタム トリグナラヒタム サドグルム タム ナマミ

内側にいますグルに敬意を表します、内にいて導く光よ、それは決して終わりのない至福、最高の幸福を与えて下さるもの、他に類のない唯一のもの、最高意識の脈力、二元論を超えたもの、客観の主観も超越するもの。グルはまるで青い空、「あなたはある」という言葉で表現されるものであり、「私と父は一つです」という言葉に表されるもの、それは命の最終目標でもあり、永遠であり、純粋で、汚れのないもの、常にあなたとともにあり、すべての知恵をともに目にする目撃者であり、存在するすべての者を超えたもの、3グナ(サットヴァ、ラジャス、タマス)を超え、電子的で陽子的で、そして中性子的な力です。そんなグルに敬意の礼を捧げます。 
出典:タントラ教典およびグルストトラム 翻訳:シュリブラフマナンダサラスワティ師

主なるシヴァはこのマントラをパルヴァティにヨガを授けた後に与えています。彼は愛する妻であり教え子である彼女に、このマントラを唱えることによって、彼女が真実の解放を知り、シヴァとパルヴァティとが一つであることを理解する、と伝えています。

タントラヨガはおそらくヨガのシステム(方法・体系)においてもっとも誤解されているヨガの形式でしょう。西洋人のほとんどがタントラ(インド)のルーツとは相違があるため、タントラのことを、ゲオルグ・フォイエルシュタイン氏が言うような「ネオ・タントラ(新しいヨガシステム)」として、儀式とか神秘主義のようなものと間違って混同して西洋的な解釈で捉えているのです。タントラは紀元500年頃に出現したとされる後発のヨガシステム(体系)です。古代のヨガの伝統が「ニューエイジ」時代の動向にそった最初のものでした。タントラはカリユガの時代、つまり霊的な暗黒時代(それは私たちが生きている今という時代なのですが)に創られたものです。タントラのシステム(体系・方法)を創設してきた人たちが信じていたのは、このカリユガの時代に、より古い時代のヴェーダーの礼典がその効力を失うのではないか、ということでした。こうしたニューエイジの時代動向は、すでに確立されたものを揺るがし完全に変えようと一歩を踏み出したのです。

タントラヨガはその初めてのヨガシステムとして特に人の身体にフォーカスし、しかもかなり集中的にフォーカスして、肉体たんとらのしすとして生きている間に解放(悟り)を得るための乗り物と考えました。ハタヨガの伝統は広い解釈で言うならタントラなのです。ハタヨガプラディピカはタントラの教典なのです。タントラのシステムは人の身体と自然世界とのつながりを神とつながる深遠な方法として深く探求します。タントラが指摘するのは、もしも私たちの周りにあるすべてのものがパラムブラフマ(究極的実存つまり神)の一部であるならば、アートマン(魂)を宿す人の身体も、どうしてパラムブラフマ以外になれるというのでしょう。古い時代のヴェーダーのシステムでは、人の身体は弱く、マヤ(幻影)を求める者として捕らわれていると感じていました。タントラでは人の身体は最高のコンディションに保たれているべきであり、そうすれば神そしてグルに完全に奉仕する者になれるとされていました。この新しく見いだされたシステムは、痛みや苦痛、または喜びや至福の両方にある人の身体の内にも解放(悟り)が見いだされると指摘しています。そうした両極の経験とは単に同じコインの裏表のようなもので、つまりそれはプルシャ(普遍の全宇宙的原理)とプラクリティ(世俗的な現実)なのです。悟りはひとえにただ両極端を理解し、宇宙的意識は身体の内のDNAにも組み込まれていると理解したときだけに得られるのです。人の身体と自然界は神聖を理解するための研究所のようなもの、つまり身体はモクシャ(解放・悟り)を手にするための道具として、決して軽視できないものだと理解するための研究所であるとタントラは表現しました。

タントラヨガが常に主張するのは、求道者には生きたグルが必要であるということです。そのグルの教えや導きを通して、求道者はすべての教えは内側から湧いてくるということを学ぶのです。学びにあるものはただ神、グル、その教え子は一つであると理解しさえすればよいのです、ちょうどシヴァ神とパルヴァティとが一つであるように。ブラフマナンダムパラマでは明白に述べられていることですが、宇宙における究極的実存つまり神は内側にいるのです、またはポール・ヤコブ・デュエッセン氏の著述にあるように「創造原理はすでに全体世界において具現化されてそこにある」のです。

初期の頃のヨガシステムは自己実現に向けての方式として瞑想やプラナヤマによりフォーカスしていました。アサナはほとんど与えられていませんでした。タントラはすべてのツールを使ってグンダリニシャクティを目覚めさせ、チャクラを開きながらサハスララチャクラ、つまり内なるグル(パラムシヴァ)の鎮座する場所に到着するまでチャクラを開きながら上昇して、シヴァとシャクティとの融合を創りあげていくのです。これが科学となり目には見えない身体内でのエネルギーの動きとなりました。すべてのツールを使ってそれを行うのです、つまりアサナ、マントラ、瞑想、バクティ、プラナヤマ、礼典儀式、人としての個人的な行為、すべてがあいまって神聖な研究所である人間の身体で神との融合を得ようとしたのです。これこそがヨガ、こんにちなお私たちの多くが修練するヨガ、タントラの伝統に根ざした統合的なシステムなのです。
こうした覚醒が起きるならば、ヨギは本当の至福を自然世界の内にいながら知ることになるのです。内なる至福を肉体と精神の死を経験する必要のないタントラシステムにおいて。客観も主観も完全に具現化され褒め称えられているタントラシステム、ヨガにおいて。このように身体という縛りからの解放、生きながらの悟り、それをジヴァンムクタというのです。

翻訳:Rei Miho Ueda