2020.10-Śrāddha is paramount: シュラッダーは最重要-

aśraddhayā hutaṁ dattaṁtapas taptaṁ kṛtaṁ ca yatasad ity ucyate pārthana ca tat pretya no iha
-Bhagavad-Gītā, Chapter 17, verse 28

アシュラッダヤ フータン ダッタンタパス タプタン クルタンチャヤットアサディトゥチャヤテ パルタハナチャタット プレティヤ ノイハ
信仰なしに献げ、自己鍛錬し、施しをしたところで何の意味にもならない。それはAsat(アサット)=不真実と呼ばれ、今世においても来世においても無益だ。
『バガヴァットギータ』1728

ある暑い日、右も左も分からない街中の小道を危なかしげに歩いていたら、たまたま隠れ家的お店を見つけた。店主が”Bonjour” と迎えてくれた。そこは色彩、騒めき、織物の宝庫だった。私はすっかり圧倒されていた。旅行客が出入りしている。選べない。手織りのラグやブランケットはどれも見事に素晴らしい。ムハンマドがミントティーをいれてくれた。すると、ふと気配を感じた。部屋の片隅に女性がいた。私は彼女に近づいた。彼女は片手で織物をしながら、もう片方の手で数珠を持ち、祈りの言葉を唱えていた。私は彼女の器用さに惚れ惚れした。彼女はこちらを見ているので、私の視線に気づいたに違いなかった。彼女は何も言わなかった。それだけだった。探し求めていたものだった。私は彼女の隣に置いてある色とりどりのブランケットを手に取った。私達は互いに微笑んだ。そのブランケットは、今も私のベットの上にある。毎晩ブランケットの中にもぐり込むと、守られているように感じる。祈りに包まれているように感じる。部屋に入るたびに、モロッコのカサブランカで出会ったあの女性の控えめな神聖さを思い出す。

バガヴァットギータの第17章において、大戦は今にも始まろうとしているが、クリシュナはアルジュナに内側に意識を向け続けるよう諭している。外側の状況が変わらずとも、対話が深まるにつれ、最初は戦う意義を見出せなかったアルジュナは戦いに対する見方を劇的に変えていく。Śrāddha(シュラッダー)はこの聖書において最も重要な言葉の一つである。よく「信頼」「信用」と訳されるサンスクリット語だが、ぴったり意味が当てはまる英単語は存在しない。Śrāddhaはśratに口語のdhāが組み合わさったものである。śratは一般的に「心」という意味があり、Satya(サティヤ: 真実)のsatとも関連している。dhāは「留まる」「身を置く」という意味がある。翻訳家のエクナット・イーシュワランによれば、Śrāddhaは文字通り「心に留まる」と訳す。この17章の最後の節において、クリシュナは「ŚrāddhaをせずにAshraddhayāを実践した所で、精神的な成長は無い。このような実践のことをAsat(アサット:不真実)と言い、今世においても来世においても無益だ」と話している。

これは非常に重要な考え方で、熱心なヨギーだったら、Śrāddhaの道はいい加減な者のためのものではないと忠告するだろう。1日を通してしなければならない決断の数を思えば、いったいその内のいくつが真に心から行われたものだろう?Sharon先生はいつも私達に「大きな愛を持って接するならば、全てが上手くいく」と仰る。さぁ、周りを見渡してみよう。時が経ても変わらないもの- 長く続く交友関係、太古からの森林、古い書物やひいおばあちゃんのボロボロになったショールですら、愛を持って優しく接してくれている。ahamkāra( アハンカーラ : エゴ)は無難な行動を取ったり、一時的な利益だけに意欲を注ぐだけで、疑いや恐れの心を生じさせる。一方で魂に委ねた自己は、行いを称賛されようが批判されようが気にしない。混み入った店の中でブランケットを織る信者のように、より一定を保っている。同じ志を持った者を磁石のように引き寄せて、行い全てを持って恩恵をもたらす。これがŚrāddhaである。

私達自身がŚrāddhaの力を高めれば、明白な方法でアルケミストにだってなれる。アルジュナがクリシュナの声を聴いたように、心から神の声(唄)を聴いて学ぶことだってできる。私達は内なる叡智の中にある信じる心と、物事を引き寄せるコンパスの様な心で、この不確実性な世界の舵を取っていくことができる。

-by Jeanine Munyeshuli (Jivamukti 編集チーム)訳: Yuri Uzu Ogawa