2021/2

tyaktvā karma-phala-āsaṇgam

nitya-tṛpto nirāśrayaḥ

karmaṇy abhipravṛtto ‘pi

na eva kiṁcit karoti saḥ

己の行為の実りを手放す者は、満足していて依存からも自由です。行為を行なって居る時でさえ、行為を成しているのが己ではないことを知っているのです。

Bhagavad-Gītā 4:20 (The Jivamukti Yoga Chant Book p.18)

カルマ:(名詞) 行為。影響。結論。

原因と影響の普遍的で道徳的な法がカルマの最も基礎にある構造です。 様々な異なる信仰の中にもこの事が説かれています: 仏教、ヒンドゥー教、ジャイナ教、シーク教、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、これら全ての宗教がカルマをそれぞれの方法で取り上げています。カルマの法則によると、魂は、その魂の実現に適した環境に生まれ変わると言われています。善人(たとえその人が精神的な道から逸れたとしても)は 、死んだら良い行いをする人の天国へ行く。そこに数年宿ったのちに再び生まれ変わり、この時は純粋で裕福な家庭に生まれます。中には魂の成長が進んでいる家庭に生まれる者もいますが、このような事は難しく得難いものです。このような事が起きると、彼らの魂は良い環境によって引き抜かれ、解放に向かって急速に導かれていきます。(1) 

1686年、アイザック・ニュートンは運動の3方向について示しました。その三つ目がカルマと似ているのです。あらゆる行動が等しく逆の反応を有している。カルマにおいての反応は逆というよりもむしろ同じです。ブラーダーランヤカ ウパニシャッドでは、良いことをする人は良くなり、悪いことをする人は悪くなると言われています。(2)バガバッドギーター(3)で、クリシュナは,誤った思い込みのクモの巣に捕まっていると、より誤った思い込みにはまっていくという結論の悲惨さを忠告しています。ウパニシャッド、バガバッドギーター、パタンジャリのヨーガ・スートラのどれにも、カルマの役割と魂の輪廻の結びつきについての考察があります。

現在の私たちの人生の状況は、行動の結論として宇宙によって決定される。それには、両親、国籍、性別、体つきや心理も含まれます。これは“プララブダー”カルマです。

ジヴァ(個の魂)の具現化は、過去の行動に起因し、新たに行動し、更にカルマを作り出して他の存在となります。成るがままにカルマを解決しては作り出すのです。今世で作られたカルマは“アガミ”と呼ばれます。これがサムサーラ(輪廻)の転生です。

この転生に気が付くと、2つの選択があることが分かります。良いカルマを作って、未来の誕生を安全なものにするのか、あるいは、どうやってカルマを作ることを止め、この結び目を解くのかを学ぶべきかどうか。

心に沸き上がる欲望の全てが放棄された時、滅ぶものが不滅なものと成るのです。

心にあるこんがらがった結び目が解かれた時、今この生で、滅ぶものが不滅なものと成るのです。ブラーダーランヤカ ウパニシャッド4-4-7(4)

“良い”カルマを作り出すことに注力することができる世界にいることを選んだとしたら。どうしたら、どの行為が良いカルマを作ると分かるのでしょうか。ダルマスートラ(紀元前600年著)には、より良い生まれ変わりの為の良い生き方と有益なカルマの作り方のガイドラインがあります。他にパタンジャリにもダルマが見受けられます。ヤマス(第2章30)はダルマの現れです。後に続くスートラでは“マハ ヴルタム”ー偉大な誓約、場所も段階も時間も超越する、と記されています(5)。このように、ヤマスに従って生きるということで良いカルマが付いてくるのです。

それが単純なことあればいいのですが!バガバッドギーターでは、アルジュナが道徳的な質問を投げかけています。もし彼が戦いに参戦しなかったら、非暴力という宇宙の道徳的な法を汚すことになり、悪いカルマを作り出すのだろうか?と。クリシュナはこのように答えました。まずやるべきことはスヴァダルマだ。君の個人的な道徳への責任です。

これは、クリシュナが戦いが起きることを肯定しているように思えます。そうではないのです。カルマの法を良いとか悪いなどと評価することはできません。それよりも、その行為によってより明確なマインドへ近づくことができるのか、それとも、明確なマインドから離れていくものなのかを良く考えるのです。クリシュナが言う、悪いカルマの結果である痛み多き地獄は、罰であると言っている訳ではなく、単純な事実なのです。

これらの教えについて心底の力になる事柄は、私たちが善良で道徳的な存在にならなければいけないとは示していないところです。どのように行動するかは私たちの選択です。そして、自分が撒いたタネの結果を得るという確かな知識と確信を持ってその行為をする必要があります。カルマは単にタネであるという事を覚えておいてください。どのように生活するか、それによって植るタネと育つタネが決まるのです。現時点の私たちの生き方、そして行動がカルマのタネの成就に影響するのです。「私のカルマがそうさせたのです」と言うことはできません。カルマは言い訳や個人の責任を無罪にする方法などではありません。

現在の苦境が前世のどの行動から来ているかを知ることは容易ではありません。私が前世で殺人鬼だったので現世の私は貧しいですという前提を私はできません。ヨギーたちが受け入れるべきことは、何が起きていようとも、現在は過去の行為の結論であり、宇宙の簡潔さに向かっていない事はいかなる事でも解決できるということが明らかであるということです。

これが私たちの最後の収穫であると保証する唯一の方法があります。私たちの行為の全てを宇宙へと、神へと捧げることです。これは練習を通して行うことだとパタンジャリは言います。私たちは、過去のカルマから作られた古いやり方に従う事を止め、明晰さと無執着にマインドを集中させる訓練ができるのです(4)。

私たちは執着から完全に自由な行動を学ぶべきです。行為に執着せず、行為の結果に執着しないことです。

[i] Chapter 6, verses 41-43. Hawley, Jack. The Bhagavad Gita: A Walkthrough for Westerners. New World Library.

[ii] Easwaran, Eknath. The Upanishads (Classic of Indian Spirituality) . Nilgiri Press.

[iii] The Bhagavad Gita.Chapter 16 vs 16-21

[iv] Easwaran, Eknath. The Upanishads (Classic of Indian Spirituality) . Nilgiri Press.

[v] II.31 jāti-deśa-kāla-samayānavacchinnāḥ sārva-bhaumā mahā-vratam jāti, class, caste, occupation; deśa, place, country of origin; kāla, time; samaya, circumstance; anavacchinnāḥ, unconditioned, unlimited by; sārva, every; bhaumāḥ, place on earth; mahā-vratam, great vow

Bryant, Edwin F. The Yoga Sutras of Patañjali: A New Edition, Translation, and Commentary . Farrar, Straus and Giroux.

[vi] III. 10 tasya praśānta-vāhitā saṁskārāt tasya, its [the mind’s]; praśānta, peaceful; vāhitā, flow; saṁskārāt, from subconscious impressions The mind’s undisturbed flow occurs due to saṁskāras.

Bryant, Edwin F.. The Yoga Sutras of Patañjali: A New Edition, Translation, and Commentary (Kindle Locations 7638-7640). Farrar, Straus and Giroux. Kindle Edition.

CLARE NICHOLLS

クレア・ニコールス