April 2022 About Asana アサナについて

スティラ スッカム アサナム

「座」とは安定して喜びに満ちたものであるべきだ

ヨガスートラ1:45

アサナは渦巻きの吸引力のように、ヨガアサナの実践によって、あなたのなかの親切な心や献身の心、静かな心、その美しさ、自己内省力も、巻き込まれ引き出されてゆきます。アサナのプラクティスを通じて身体を動かし、マインドを調整していくにつれて、同時に私達は献身の心という種を植え付けているのです。ヨガマットの上に立ち返るたびに、その種に栄養を与えて、アサナの身体の動き、呼吸、マインドにあわせながら、土を耕すように自分自身との関係性を深めています。自分の身体に向き合い、身体を本当の意味で感じとるとき、慈しみの心は広がるチャンスを得るのです。十分に自分自身を感じるなら、私達の感受性は高まり、他者の問題にも理解力が深まります。ある一定の長い時間をかけて繰り返しアサナを実戦すれば、他者の話に耳を傾ける力に磨きがかかり、アサナがさらに精錬されることによって、じっくり考え瞑想できるようになります。

アサナという言葉の意味には、ヨガの長い伝統を通じての多くのニュアンスがあります。この言葉が使われはじめた頃は、アサナとはあなたの「座位」、つまりプラナヤマや瞑想やチャンティングなどの場面であなたが実践のために選んで座ること、という意味でした。またある時は、あなたが座るときの対象物、つまりヨガマットや芝生のようなものを意味していました。アサナは次第に意味が広がって、より広い範囲での様々な身体の位置・姿勢をも含むようになりました。現代ではアサナとは、ヨガのクラスで多くの身体の動きをまとめて一連の動きに結びつけることという意味で使われているのかもしれません。ジヴァムクティヨガでは、アサナは身体の動きの一つの形式として重要な役割を果たしており、現代的にアップデートされた解釈でその言葉の伝統的な意味を広げています。

ではあなたは、どのようにアサナのプラクティスに磨きをかけていきますか?この質問は、ヨガのクラスやワークショップで、シャロン師がその空間に集う練習生達によく聞く質問です。その質問のあとに続くのが、「座」・「座る」とはどんな意味なのかの精査・研究です。「座」・「座る」とは少なくとも二つのものの間に関係性がうまれることを意味します。二つのものとは、つまり座る人と、その人を支えるために座られる(つがなる)対象のもの、です。私達みんなとつながっていて、私達みんなを支えているものって何でしょう?そう、私達が地球と呼んでいる、私達のふるさと/帰る場所、ホーム(home)です。

アサナのプラクティスは、空間を使って自分の身体をどのように動かすか、とか、どのように座るか、何に座るか、だけにとどまるのではなく、もっと大きな全体的なつながり・関係性のクオリティー(質)を高めていくこと、と理解されるべきです。では地球との関係性は安定していて喜びにみちたものでしょうか?

ヴィアース・ヒューストン氏は「スティラ」の意味を「安定した」と翻訳しています。何かを安定した状態にするためには、瞬間的にバランスをとるだけでは十分達成できません。たとえば「安定した生態系」と言うとき、それは柔軟で復元力のあるな生態系のことです。「安定した関係性」ならば、それは困難や難題を乗り越えられる関係性のことです。ヴィヤース・ヒューストン氏はさらに「スッカム」の意味を「快適である」と翻訳しています。これも、ただ安定させるために長い時間ひたすら緊張し続けるだけでは達成できません。快適といえるレベルにまで到達しなければならないのです。集中して努力して「座る」場所へとたどり着き、さらに地球との関係性が安定して落ち着いている上に、喜びに満ちたものであり、同時に少なくとも快適であるべきなのです。

人類は本当に長い長い年月ずっと地球のことを、自分たちの必要性を満たすためだけに、自分たちのためだけに、与えられているものだと見なしてきました。地球と私達の関係性は、すごくやんわりした表現で言っても、「一方的な」関係性と定義してよいでしょう。ほぼ全ての人類は「欲しいもの」を「欲しいとき」に地球から奪い取っており、だから地球は自分たちのものなんだ、と思い込んできたのです。でもこうしたバランスの悪さ(一方的な関係性・不均衡)が深刻な影響を与えた結果として、地球の環境が内的にも外的にも多くの人々にとって次第に見過ごせない問題となってきています。この世界と私達自身をきちんと大切にしたいという願いはメディアやSNSなど様々なかたちで目にするようになりました。スピリチュアルなプラクティス(霊的な修練・霊性を高める実践)を求める声があるということは、その人が個人的にも、さらに広い世界全体の一部としても、癒しを求めているということでもあるのです。

アサナは祝福の賛歌です、アサナ自体が持つ智慧と、私達が生きるこの世界との両方を、喜びたたえているのです。アヒムサ(非暴力)・バクティ(献身)・ディヤーナ(瞑想)・ナーダ(振動・音楽)そしてシャストラ(古代インド哲学の教え)を、マインドとハートに抱いて(つまり「頭」で理解して「心」に刻みながら)身体を動かすとき、アサナのプラクティスはその5つの要素(ジヴァムクティヨガの5つの教義)が出会う場所・合流地点となるでしょう。

(著:ジュールス・フェブレJules Febre)