by Karina Eline Kibsgaard
2025.2月
Om saktah karmanyavidvamso yathä kurvanti bhärata
kuryäd vidvärs tathäsaktas cikirsur loka-sarhgraham
あぁ、アルジュナ、愚かな者が行動に執着するように、賢者は執着することなく世界の(幸福の)維持を求めて行動するべきである。
-マノラマ訳
インドの紛争と危機の物語を伝えながら、バガバッドギーターは賢く正しい行動への道を提示しています。紀元前200年頃に書かれていて、クリシュナにはダルマを復元するという使命がありました。クリシュナは、アルジュナが良心と困惑の難局にいる間、御者(馬に乗って手綱をひく者)として、そして教える者として行動しました。
この物語は、気候の大災害や進んで行く人々の二極化の側面にある戦争の恐怖と残忍さを人類が再び経験しているという事に関係するかもしれません。バガバッドギーターでクリシュナは、世界にポジティブな変化を起こす為にどうやってアルジュナ自身の義務を遂行し、前進するのかという説明と助言を彼に与えています。クリシュナは行動のヨガに特別な注意を示しています。それは、私達の行動や言動から来る果実/結果を、この世界でより偉大で善良なものの為に自らが主である事を手放すというものです。
私は私達の師であるパドマジとデイビッドのビジョンと働きに絶え間なく突き動かされました。新しいアイディアと古代からのアイディア、新しいコンセプトと古代からのコンセプトを型にしてジヴァムクティヨガを創り出したのです。もし彼らの教えがなかったら、私は自己中心的で自己改善を追い求める終わりのない旅に迷い込み、満足することなく、自分自身に疲れ果てたり、肉体的な練習で怪我をしたりしていたかもしれません。
彼らはこの方法論を通して私たちに贈り物を与えてくれたのです。それは彼ら自身に依存することなく、より大きな善に向けられています。私たちは、サットサンガやコミュニティが世界を癒す手助けをするというこの認識において、決して一人ではありません。
「地球にとって、人類にはもう十分すぎるほど焦点が当てられてきました。そして、私たちの終わりなき自己中心的な執着の中で、私たちは『重要な謎』を見失ってしまいました。それは人間でもなく、人類でもありません。それは、この美しく神秘的な地球上で、生命の広がりの中で自分たちの位置を理解することです。」
― シャロン・ブラックイー、『もし女性たちが根を下ろしたなら』
現在の世界の状況で生きていく時に、サットサンガやコミュニティの力は、私たちが経験する現実に直面する中で非常に重要だと感じます。
サットサンガは帰属感やインスピレーション、希望を提供し、個人としても集団としても変化することは実際に可能であることを示してくれるのです!
共に練習することを通して、アイディア、文化、生きて来た経験、そしてお互いに話を聞くという事を実存する人々が共有し、世界を生きていく異なる方法を再考するのです。
希望を諦めるという選択はありません!私たちは未来の為に戦わなければいけないのです。とりわけ、私たちの中でも既に生活を築き上げた人たちや、比較的安全な人たちは、最初に首を突き出し、集団的変化の働きをするべきなのです。
私たちの師達の精神と革新的な働きの中で、私たちはそれを練習の中に見つけるかもしれないし、練習への解釈や表現の中に見つけるかもしれません。コミュニティを築いて、分離の幻想や、危害や搾取といった事を切り抜ける道を作るのです。過去の信念や対立、恐怖という文化的な条件付けを拒否することは、権力の追求、あるいは、スピリチュアルな伝統や信念体系の名のもとに起こることがしばしばあります。
ジヴァムクティヨガは、『ヨーガ・スートラ』2.46の精神に基づき、他者とのつながりや関係性はお互いに利益をもたらすものであり、安定した一貫性のある姿勢から生まれるべきだという精神を維持しています。この考えを実践に移すことは非常に先鋭的なアイディアです。それは、地球や他のすべての存在が私たちの利益のために存在し、現在の文化的な概念である自己中心的に搾取されるべきだという概念の解体を可能にします。この観点から見ると、ヨガの実践は注意力と意識を高めるためのツールとなり、他者との関係を改善し、分離の感覚を解消する助けとなるのです。
私たち自身に、そしてお互いに希望と勇気を与え合いましょう。声を上げ、集団的変化のために働きかけましょう。私たちの師たちがヨガ、ヴィーガニズム、スピリチュアルな活動を通じて私達の前に絶え間なく行ってきたように。憎しみや分離によって生じた傷を癒し、自己中心的なエゴから解放されて、平等、平和、そしてすべての人々にとっての幸福という未来を共に想像し、共に働きかけていきましょう。