2025/9 闇の中の灯台

マルティナ・ダルミナ・フェーブレ  | 20259

(翻訳:akky)

師はブラフマー(創造主)であり、師はヴィシュヌ(維持者)であり、師はシヴァ(完成者)であります。

師は至高の証人、最高のブラフマンであります。

その師に礼拝を捧げます。

 マノラマ訳

私たちの創造は師であり、私たちの命の時間は師であり、試練や病や災難もまた師であります。

師はすぐそばに在り、さらに彼方の彼方にも在ります。

私は謹んで師に供養を捧げます。

無知を取り除き、美しく啓示をもたらす原理として、常に私の内に、そして周囲に存在する師に。

 シャロン・ギャノン解説

この詩句は「グル・チャンティング」として親しまれており、『グル・ストートラム』に収められた美しいシュローカの一つです。『グル・ギータ』という、師への深い献身を歌う聖なる歌から取られています。

近年「グル」という言葉は残念ながら否定的な響きを帯びてしまいました。自己を「グル」と称して人々を傷つけた不幸な事件が原因です。しかし、本来の「グル」が示す意味は純粋で神聖なものであり、知恵と愛の具現です。ここで述べる「グル」とは、闇を取り除く存在であり、決して害をなすことのない、地上に神を映す原理そのものです。グルは個人を通して働くこともありますが、常に私たちの内に、そして周囲に存在しています。

グルへの不信と必要性

自称教師による偽りの行為は、人々が「グル」を信じたり従ったりすることに恐れや疑念を抱かせました。これは精神的に大きな損失です。自己実現の旅には導きの原理が不可欠だからです。

多くの人は「グル・トラウマ」を抱えているかもしれません。否定的な経験を目の当たりにしてきたことや、西洋的な懐疑心や反発心が背景にあります。「自分には導きが必要だ」と認めることを避け、「自分でできるはずだ」と思い込むことは、精神的な成長を妨げてしまいます。最初の一歩は、自らの無知=アヴィディヤを認め、受け入れることなのです。

学びと師弟関係

どんな技術でも学ぶ際、私たちは経験者に学びます。肩越しに見て、観察し、真似し、問い、試し、学びます。志すものを体現している人の導きの下で。

弟子と師(サーダカとグル)の関係は、純粋な愛と最高の尊敬・信頼によって神聖なものとなります。もし幸運にも、実際に話しかけたり共に過ごせる師を持つことができたなら、その関係には最初から愛と信頼と尊敬が存在していたことでしょう。

グルの周囲には「グル・シャクティ」と呼ばれる力強いエネルギーがあり、それは魅力的ですが決して人を操るものではなく、名声や承認を求めるものでもありません。真剣な探求者にはその存在が明らかに感じられるのです。

「どうすれば師を見つけられますか」と尋ねられることがあります。私の答えはいつも同じです。「出会えば分かります」と。純粋に恋に落ちるようなもので、決して強制はできません。今生か、来世かはわかりませんが、必ず訪れるものです。

師を失うことと継承の責任

私自身、真のグルと出会う祝福を受け、その愛に満ちた、裁かず、癒しに満ちた存在を体験しました。

しかし、師を死で失った悲しみや、別の師が教えることをやめてしまう姿も経験しました。それは霊的な「成人式」のようでもあり、しばらくは道を見失ったように感じました。しかしやがて、これは「入門」であり、弟子であることは「教わったことを実践する責任」を伴うのだと理解しました。師への愛は、師が退いた後もその教えを尊び、継承し、形にする責任を私たちに与えます。

私たちが弟子として託されたことを他者に教える立場になるならば、師の教えに忠実であり続け、師の声を伝える存在となることが重要です。これこそが「パランパラ(継承の伝統)」です。

教えを守り伝えるということ

私たちの文化では、知恵や経験を尊ぶよりも、金や権力に惹かれる傾向があります。ヨガでも、SNSのフォロワー数や派手なポーズで選ばれる教師よりも、本当は愛と経験を兼ね備えた教師に学ぶべきです。

伝統の師は今も存在し、私たちは彼らを大切にし、敬い、祝い、こうして支えることができます。

もし師が教えを休んでいても、私たちはその教えを忠実に伝えることができます。そして何よりも、私たちが師から学んだことを日々実践すること、それこそが師にとって最大の贈り物なのです。