今月のテーマ

『空』を超える

羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶

ギャーテーギャーテー ハーラーギャーテー

ハラソーギャーテー ボジーソワカー

去り、去り、ほぼ完全に過ぎ去っていく

すべてが去った後に究極の知恵が残る。

般若心経

『プラジュニャー(般若)パーラミター(波羅蜜多)、

般若波羅蜜多心経の教えは私達に、平和の基盤を築き、生死への恐れ、二面性からなる世界の超越を与えてくれます。『空』を照らす事により、全ては全て以外のものであり、私達は繋がりながら、個人の人生に生じる事がらに個々責任を持つのです。貴方が貴方自身に幸せと平和を生み出す事により、全世界の平和に気づきます。自ら笑顔を作り、意識的な呼吸を保つ事によって、世界の平和を育むようになるのです。』— ティク ナット ハンの著作する“The heart of understanding より。
般若心経(プラジュニャーパーラミター般若波羅蜜多)は観音菩薩から授けられた大乗仏教においての主要で大切な教訓です。

Bodhisattva (目覚めた存在、観音菩薩)

Bodhi (ボッディとは目覚めるを意味)

Sattva (存在)

サンスクリット語:アーリヤ・アヴァローキテーシュヴァラ

仏教のお経(マントラ)では、”空”の性質を調べる事を勧めます。初期によくある間違えは、空を“意味の無いカラ”と解釈する事です。インド哲学ではアースティカ(有、存在)とナースティカ(無、非存在)の間に信念を置きます。さらなる研究の後には、バランスのとれた視点が明らかになり、相互に繋がる事による広大な広がり、二面性や対比する事などもない、と提唱されます。

この非二元主義のこのアイデアは、アドベイタヴェーダンタ1の一元論という概念のようですが、ゼロへと削減し1元を超えるのです。
ベトナム禅仏教の師であるティクナットハンは シュンヤタ(空)という概念を用いて、“それぞれ分離された自己は、空でありながらも宇宙の全てが含まれている”と示します。 このシンプルな概念は容易に解釈できる、と初心者は思いがちです。

しかしナットハン曰く、真髄を掴むためには親密感を心がける事、または瞑想的なアプローチをと勧めます。全ての面を突き抜け、効果的に芯の芯までを理解する。探って探って、表面を取り去る事により全てを“理解できた”と辿り着くがその先に、もっと先まで探らなければ、真髄には辿りつかないのだと、経は教えてくれます。 例えば、食事がどう食卓に運ばれてきたのか?、食事が食卓の上にどこからともなく発生するわけは無く、以下のような質問がでてきます。この食事はどの様に料理されたのか? 食材は? 生きるものが苦しむ上で料理をしたのか? 私たちの個人消費の為に、他の犠牲に貢献、その犠牲の永続をしている事実に気づいているのでしょうか? 物事の成り立つ段階を深く探るという事は、全てとの共存と相互依存の本質を表面上ではなく理解することなのです。

ヨガアーサナの練習を数年間続け、ムーラバンダの実践ができる様になったと思いきや、それが間違っていたと気づきます。 単に骨盤底筋を締めるという身体的解釈から 、 繊細で洗練されたエネルキーの引き上げとなるのです。練習を重ねて意識を広める事により、初期にあった強制的に締める努力をしなくてもいいようになります。これはアライメント、ウージャイブレスにしても、 哲学の思考についても同じ事が言えます。長い間勉強する事によって、把握できていたつもりの全ては実際、私達の理解の範疇を超えていると気づくのです。
この目覚めの中心にあるのは、私達の人生は重なり合い、一人の苦しみは他の苦しみと切り離せないという現実です。それは必然的に、酪農製品や卵の消費が、いかに牛や鶏の生活に根本的な影響があるのかを明白にします。 心経は私達の常識に対して、より深く探る責任があるのだと思い出させてくれます。

この教えを教訓に、全てを明らかにする様に、全てに疑問を持ち、問いてみる。私たちはよく何でも知っていると勘違いをしていて、実際は深い視点からは何も知らないのです。 究極の知恵とは全てが去った後に残るのです。