今月のテーマ

2019/2

A Slice of Truth
真実の一切れ
satyam brūyāt priyam brūyāt na brūyāt satyam apriyam priyam anritam na brūyāt esha dharmah sanātanah
このサンスクリット語の詩はマヌ法典の4章138からの抜粋です。永久の哲学あるいはサナータナダルマ(sanātana dharma:ヒンドゥー教における永遠の意)の要点を要約しています。意味は「真実を言い、スイートなことを言うこと。スイートではないけれど真実であることは言わず、真実では無いけれどスイートなことも言わないこと。これは智慧である」
ヨギーとして、話す時には親切にそして前向きな言葉を使うということを私たちは知っています。私たちは親切で前向きな真実を創造しているのです。暴力、不親切、そして傷つけるような言葉は破壊的なことです。言葉は力を持っているのです。ーシャロン・ギャノン/マヌ法典4章138/オーディオ:キャサリン・ミランダとハリ・ムルクトゥラ

この恐れに満ちた時代に、人々は客観的な事実よりも個人の感情や信念に訴えかけることが世論形成に影響を持つ状況の中にいることを懸念しています。今や、事実と事実では無いことが絡み合っている。そうなのです。しかし、ここに真実の確認方法があります。私たちが信じている、いわゆる真実と呼ばれるものが、とにかく絶対的なもので、証拠があり、他の人々によって確証を得ていたり、評判の良い新聞の記事に載ったとしても、全体像からはほど遠いものです。私たちの多くは、情報が事実確認されたものだとしても全体を十分に捉えていないと、私たちの内側深くで感じることができます。私たちは皆直感的な感じ方で仮定しています。そのことを日々において真剣に捉えていないとしても、それは常に表層にあるのです。

<それは親切?それは真実?それは必要?>
神経科学者によると、私たちが何かを目撃した時に脳は物質を作り出し溝を埋めるそうです。実際はともかくとしても、これは近道を見つけたり精神的なエネルギーをセーブするためには、明白に進化的な方法です。資源を保護するために、脳は怠けたやり方をするのです。もし、その人がこのように思たら、そうに違いない。私たちはその人を分かったと宣言したり、見たままに焦点を当てたりすることに、確信を非常に得ているのです。もし私たちが間違っていたとしたらという結果を想像してみてください。私たちは認識けちに進化して来ているのです。認識けちは最初にスザン・フィスケとシェレイ・テイラーによって1984年に紹介されました。ここでの私たちの論題は、私たちの直接的な経験の事実と記憶であっても、それが深く欠陥していて、実際に本当の真実についての多くのうちのたった一つであるということです。特定の状況における、いくつかの実験を私たちは知っています。いつ、善意的で、賢く、真実に満ちていて、道理をわきまえた人々が、聴いたことや彼らが確信していることについて最も欠陥のある認識をするのかということを。この課題については、認識的な科学者、哲学者、そして行動的な経済学者によって研究されました。偏った概念、暗黙の先入観、そして私たちが仮定する他の要因は全く悩殺するものです。少しの間自分の最も好きな映画の一つを見て、最初にみた時にどれだけのことを見落としていたのか気づいてください!
私たちは皆、永遠の真実あるいは永久には必要とはしないことを巧みに描くために何年も費やし努力してきたのです。皆がそれを信じていると私たちは思っています。何故なら、そのためにものすごく働いてきたのだからと。「おお、たくさん働いた。真実に違いない!」そうです、私たちの親切で哀れみ深い友人たちは私たちの感情を傷つけたくない、だからそれに沿って歩むのです。この妄想の基礎を再吟味することは、自己の智慧を吟味するのに重要な部分です。人々が「自分らしくいれさえすればいいんだ、本物の自分でいればいいんだ」と言うのを何度聴いたことがありますか?
では、本当の真実とは何か?そんなものはあるんでしょうか?ある人は、真実には多くの種類があると言います。専門家によって賢く表現されています。主観的な真実、客観的な真実、関連付けのある理論に基づいた真実、私の真実、あなたの真実、などなど。多くのバリエーションと見方が世界には存在しているのです。つまり、こんなにも不確かな事実や作り事そして認識に囲まれた状況にいて、何に確信を得たらいいのでしょうか?
古代のヨギーがこのように説明しています。
Trikāla Abādhyam Iti Satyam トゥリカーラ アバーディヤム イティ サティヤム
真実は3つの時間の段階に影響されないもの:過去、現在、そして未来。サティヤムは真実です。時間や空間に影響されることも邪魔されることもありません。過去、現在そして未来は時間の経過を示します。私たちが誰なのかという、変化しないもの、変化することの不可能な要素、これだけが真実なのです。他はノイズです。私たちは、時間という空間の中の、考え、知覚、そして限りある認識なのです。それらは重要です。それらが、誰が、いつ、どこに、私たちがあるかという感覚を私たちに与えてくれます。しかしそれは、自由を追求し真実の自分を理解することに励む時には、偉大な不名誉の中の限りある価値なのです。考えてみてください、人生の中でどれだけのことが変わってきたのか、そして常に変わっているのか。  季節、自分の周りに居るの人々、私たちの知覚、私たちの好き嫌い、私たちの選択と望み。それらは全て、私たちが人生で経験している動きのように流動的です。若かった時代に私たちを興奮させた物事は、今や同じ効果を持ちません。何が起きたのでしょうか。 私たちの周りの物事が変わったのです。私たちの感情や望みが変わったのです。しかし、私たちにはまだ示すことのできる何かがあります。私たちの真実の自分、それは変わることが無いのです。私たちの、意識レベルにおいての私という感覚は、私たちが初めての概念と記憶を得た時、同じように残されています。3つ子の魂100まで。マインドと体の枠の中で得られる絶対的な真実として私たちが得られるものに恐らくそれが一番近いでしょう。本当の自分という感覚に入ることは多くの人にとって落ち着きと平和を感じることです。
それは、私たちが私たち自身の真実を創造していると言われます。私たちはアヴィディヤのために私たち自身を誤って認識しているのです。 本当の自分に対する無知です。また、私たちの不可欠な自然と不可欠な真実は、サット チッタ アーナンダとも言われます。バクティの実践者及び先生としてよく知られているシャムダスは 「私たちは真実だ。意識であり、そのほとんどは無上の喜びだ」と言うことを好んだ人物です。彼のやり方は、人生の喜び、いかなる所にも、いずれの物にも神を見ること、を最も重要とし、祝福します。何も否定せず、そのものの永遠の中で、真にすべてを見ること。それが神聖な経験なのです。
[1] Fiske, Susan T.; Taylor, Shelley E. (1991) [1984]. Social cognition (2nd ed.). New York, NY, McGraw-Hill

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