今月のテーマ

Focus of the month 2021/12

The Yoga of Relationships
「関係性のヨガ」
  
トゥヴァメヴァ マタ チャ ピタ トゥヴァメヴァ
トゥヴァメヴァ バンドゥシュ チャ サカハ トゥヴァメヴァ
トゥヴァメヴァ ヴィディイヤ ドラヴィナム トゥヴァメヴァ
トゥヴァメヴァ サルヴァム ママ デヴァ デヴァ
「神よ、あなたは我が母、我が父、親族、友、知識、富、あなたはわたしのすべてです」

この詩は「パンダヴァ・ギータ」、クリシュナの姿をした神に捧げた詩集からの一節です。神とグルとは本質的に同じものなので、グルに捧げる唄としてよくチャンティングされる一節でもあります。インドの伝統では、まず一番最初の、そしておそらく最も大事なグルはマタ=母親であり、その次のグルがピタ=父親です。これを理解していることがインドの伝統の教えを受ける上でとても重要なことなのです。
  
近年亡くなった賢者ラム・ダス氏が、かつてこのような言葉を述べたことが有名です。「もしもあなたが『自分は悟りを得たぞ』と思うなら、家族の元へ行って、一週間でも共に過ごすといい。」彼のこの言葉がこれほどまでに知られるようになった理由はおそらく、それが私達みんなに関係することだからではないでしょうか。自分の心の均衡や穏やかな心がかき乱されるのは、たいてい他者との人間関係、特に近い人との関係性で起きるのです。ヨガのアサナを練習したり、瞑想してみたり、神聖なものへのチャンティングをしたり、愛と慈悲の心を実践しても、それでもなお、どうゆうわけか人はときに私達をムカッとさせたりするものです。どうすればいいのでしょう?
  
ラム・ダス氏は彼の生涯をかけて数々のワークショップや講話の会を提供し、スピリチュアルな実践が人間関係に行き渡るようにするための道を探求してきました。ラム・ダス氏の考えとしては、全ての関係性に関わる問題が私達の心に大きなスペースを占めてしまうために、スピリチュアル(霊的)な進化を邪魔する大きな障害になることもあるけれど、だからこそスピリチュアルな実践の一部として、それを避けて通ったり無視して迂回したりするべきではない、としています。彼はこう言っています。「関係性の問題を自分のヨガとすることもできる、それがあなたにとって最も実践が困難なヨガとなるだろうけれど」。
  
ヨガスートラの2章46節には次のようなアドバイス、またはヨガアサナの定義とも言える一節があります。「スティラ スッカム アサナム」。これを翻訳すると「安定して喜びに満ちた座る場所」です。この視点で見れば伝統的にアサナとは瞑想の実践のために座った姿勢を表すものとして理解されていたのですが、時代の移り変わりと共に様々なアサナが実践され形作られてきたのです、そう、まさに様々に!古代の教典であるハタヨガプラディピカでは15のアサナについて記述されているのを見ることができますが、18は世紀の教典ジョガプラディピカには84ものアサナが解説されているのがわかります。こうしてアサナの数や多様性が増していくのに平行して、アサナの実践によってスピリチュアル面にもフィジカル面にも利点をもたらす、という考えが確立されていきました。現代になってヨガを教えるほとんどの人もまた、これには同じ意見です。
  
アサナとは「座る、腰を据える、座部」意味です。「座る」とは私達の身体を地面に置く方法、または言うなれば、自身の身体と大地との間にある関係性のあり方のことでもあり、ひいてはそれがジヴァムクティヨガ・チャントブックに記載されているスートラⅡ46の翻訳にある「地球・大地との繋がりは安定して喜び満ちるものであるべき」につながっていくのです。では地球・大地とは何でしょう?私達の足下にあって私達を支えている地面、でもそれはまた、広い意味で言えば、この大地を共に分け合って生きる全ての生き物のことなのです。いったい私達はどれくらい本気で他の生き物たちとの関係性を快適で安定したものにしているでしょう。そんな視点で見える私達と生き物たちとの関係性は、どうすれば安定感のある喜びに改善していけるのでしょう。そう、ラム・ダス氏のアドバイスに従ってみることから始めましょう、つまりアサナを単にフィジカル面でのプラクティスと捉えるのではなく、もっと人や生き物との関係性をより良くしていくための実践方法として理解するのです。ジヴァムクティヨガのメソッドではこれを「他者との関係性を完全なものにするための方法としてのアサナ」と呼んでいます。このように考えると、ヨガとは、何を「する」かよりも、どう「ある」べきか、となるのです。
  
「ヨガ」という言葉が「ユジュ」(=結合・結びつながる)であることを考えると、つながるまでは切り離された状態だったということをも意味します。「ヨガ」でいうところの「結合・結びつながる」の本来のエッセンスは、「愛」なのです。どんな愛の交わりでも、2つの別々の存在個体が必要です。偉大なインドの聖人であるチャイタニヤ・マハープラブは愛について「アチンティヤ ベダベダ タットヴァ」(同時に一つでありながら区別がつくもの)という言葉で表現しています。それがヨガ、関係性あるつながりなのです。どれだけの時間をヨガのプラクティスに割いたか、どれほど自分で瞑想してきたか、ということが重要ではないのです。あなたが他者との関係性に結びついている存在であることが、必然的にあなたを癒してくれるし、世界をも癒すのです。孤独で他者と切り離された状態こそが苦しみの根源であり、繋がっている、ということが癒しの重要な要素なのだということをヨガは私達に教えてくれます。ここでいう「結合・つながり」は、ただ頭で知的に考えるだけの概念ではなく、もっと実際に経験する現実であり、人生の素晴らしい体験そのものです。
  
もしも、時間も集中も捧げることなく、努力もすることなくヨガのプラクティスをするなら何が起きるでしょうか?何も得られません。いつまでも何も変わらず同じままです。
関係性にも同じことが言えるのです。関係性にはあなたの献身が必要だし、その関係性がやがて時を経て成長し進展するために、情熱や修練も必要です。どんなヨガのプラクティスも関係性の実践・修練になり得るのです。著述家で瞑想の教師でもあるグレゴリー・クレイマー氏はこう言っています。「座ってする瞑想もあります、歩く瞑想もあります、だから聴く瞑想もあるでしょうし、語る瞑想もあっていいでしょう?関係性の中でマインドフルネスを実践して、それに上達するなんて、理にかなったことじゃないですか?」
  
悟りを得ることはヨガのゴールです。悟りの境地に至ると実現できるのが「Oneness of being(梵我一如)」、つまり私達は全て一つであり同じ意識を共有しているという事実を理解できると言われています。さて、その境地にまだ至っていないのなら何をすればよいのでしょう?プラクティス・実践を続けることです。または、私の敬愛する先生、デイヴィッド師が言うように、「もしもまだ他者が他者にしか見えないのなら、せめて彼らに優しく接すること」なのです。他者に見える相手も、本当はあなたの行く悟りへの道をふさぐ邪魔者ではなく、あなたの行く道そのものなのです。

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