今月のテーマ

MATSYENDRANATH, THE FISH 魚の神様、マチェンドラナス

hānan eṣāṁ kleśavad uktam ハーナン エーシャム クレーシャヴァ ウクタム

ヨーガの修練において最も大きな障害となるのはヨギーの嗜好に基づいた偏見である(ヨーガスートラ4章28節)

昔々、強く賢く素晴らしい変革の神であるシーヴァは偉大な女神パルヴァティと一緒に座っていました。シーヴァは発見したばかりのヨーガのメソッドについて彼女に語っていました。パルヴァティが退屈であることに気付かぬまま長い話をしていたのです。だって、一番初めにヨーガのシステムをデザインしたのは彼女自身だったので、それに関する講義はあまり必要ないですよね!シーヴァが話が続く中、パルヴァティは手を川の中につけて徐々に優しく水に触れては、やがて波になっていくほのかなさざ波を起こしました。一匹の魚が川岸でなにか興味深いことが起きていると気付き、それが何かを確かめる為に泳いで行きました。マツヤという名のその魚は無我夢中になりシーヴァの教えを聴いていました。マツヤが教えを最初からもう一度繰り返すようにとお願いすると、シーヴァはそのマツヤが魚であることに対して少しも驚くことなどなく喜んで受け入れました。シーヴァは全ての魂に対して平等に尊重し扱っていました。彼は人の資格を年齢、宗教、性別や種ではなく、真実を知りたいと思う誠実な願望で決めていたのです。

シーヴァはマツヤの名前をマツェンドラナス又は “魚の神”(偶然にもサンスクリット語で ‘マツヤ’とは’魚’を、’インドラ’は’神’’を意味します)と改名しました。シーヴァは彼に他の人にもハタヨガを教えるよう指事しました。そういうことなのです。先生が生徒に教え、その生徒の務めは先生になること。そしてマツヤはマチェンドラナスとなり他の人々に教えを伝える最初の生徒となったのでした。ヨガは師匠から弟子へと途切れることのないリネージにより現代まで受け継がれています。自分はハタヨガの先生だと思う人はみなその魚の神、マツヤの子孫であるのです。

ハタヨガ プラディピカの初めに著者であるスワトマラマはヨーガのリネージはアディナス(シーヴァ)からマチェンドラナスへ継承されたと認めています。しかし最初のヨーガの生徒が魚だと信じることはほとんどの人にとって難しいことでしょう。そんなばかな?魚はエーカパダシルシャーサナはともかくパドマーサナすらできないのに! 無意識的に起きる仮定はそのマツヤは男性だと言うことです。ほとんどの人は彼は間隔が広い目を持ち、うろこに覆われた皮膚 、又は彼の魚っぽい名前から得た他の特性を持っているとしか思わないことでしょう。インドでは魚のしっぽではなく、強くて、長い髪と髭、二本足をもつ男性としてのマチェンドラナスのイメージを見ることができます。

私達にとって魚が神様から直接教えを受けヨーガのグルになったことがなぜ信じがたいことなのでしょうか?それは深く根付いている偏見からなるものです。人間は傲慢にも我々だけが自覚、知性、言語や魂を授かったと思っています。我々はそれは常にその通りであったと思うが、実際、全ての生物がその質を持っているのです。現代の科学者達もこの惑星に人間が出現する前に他の生物がいたことに同意します。水中生物が地球に住む全ての他の形の生物より多かった時期もありました。ヴェーダではヴィシュヌ神の10の化身の内、最初のアヴァターは魚とも語られているんですよ!

私は一度ある方が“魚”の問題を正当化させる為にマチェンドラナスの物語を聖書の物語である’ヨナとクジラ’に関連づけていたのを聞いたことがあります。その先生は言いました。“ヨナはクジラに飲み込まれた男でした。彼は大きい魚であるクジラの中にいたのです。聖書によるとヨナは賢明で重要な人物でした。ある意味マチェンドラナスはヨナと同じく魚の体の中の人なのです。ハタヨガ プラディピカの最初に登場したマチェンドラナスの名前を見てそれが本当の魚を指しているとは思わないでしょう。その先生は最終的に“マチェンドラナスは男で、人間なのだ。”と断固として主張しました。それを聞いた私は、あの人達はマチェンドラナスは魚の体の中にいた人だと思っているの?と驚いたのです。そして、もしそうだとしたら、全ての魚の中に人がいるはずではないのか? 全ての魚は真に内面から人でないか?全ての生物が人でないのだろうか? もし私達が人を定義する時に魂を持った物、感じて考えることができ、人生を大事にし、彼らの子供達や両親の面倒をみて、感じ取ることを大事にするものだとすれば、はい、魚も人なのです。

ヴェーダ的な教えでは全てはブラフマンと宣言します。この宇宙には神のみが存在するとのことです。神は全ての存在の外形の隠された内側に駐在します。それでもなお全ての魂の根本的な性質は神聖なのです。外形はどの生物や物にとっても真の永遠なアイデンティティーではありません。もしかするとマチェンドラナスのことを“本当の魚”だと思ってほしくなかった先生は、そのような考え方をする準備ができていなかったのではないかと思います。種に基づく偏見は我々にこのような考え方を抱擁することを妨げます。私は他の動物が我々より劣ると見なすことなく、先生として偉大なグルが必ずしも人間の形で現れるわけではないということを気を引くこと無く教えれる時が来ること願います。

~ Sharon Gannon 訳:Heeki Park

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