2021/1 Now What? -今度は何?-

by Hachi Yu (ハチ・ユ)

2020年に別れを告げ、私達はうわべだけの脆く築かれてきたシステムや、見えない原子達が世界をどのように変革していくかをはっきりとこの目で観る機会を得ました。私達はこの地球・人類至上最も変化のある時代を経験しています。山火事、洪水、社会的・人種的不正の数々から世界的パンデミックまで…私達の行動や人生の相関関係の行く末を傍観しています。

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2020.11

यत्करोषि यदश्न‍ासि यज्ज‍ुहोषि ददासि यत् ।
यत्तपस्यसि कौन्तेय तत्कुरुष्व मदर्पणम् ॥ 

yat karoṣi yad aśnāsi yaj juhoṣi dadāsi yat
yat tapasyasi kaunteya tat kuruṣva mad-arpaṇam
Whatever you do, whatever you eat, whatever you give as help to another, even your own austerities and sufferings, O son of Kunti, do everything as an offering to me.
Bhagavad-Gītā IX.27

クンティの子よ、あなたが何をするにしても、何を食べるにしても、他の人を助けるために与えるものは何でも、あなた自身の厳しさや苦しみでさえも、私への捧げものとして全て行いなさい
バガヴァッド・ギータ 9・27

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2020.10-Śrāddha is paramount: シュラッダーは最重要-

aśraddhayā hutaṁ dattaṁtapas taptaṁ kṛtaṁ ca yatasad ity ucyate pārthana ca tat pretya no iha
-Bhagavad-Gītā, Chapter 17, verse 28

アシュラッダヤ フータン ダッタンタパス タプタン クルタンチャヤットアサディトゥチャヤテ パルタハナチャタット プレティヤ ノイハ
信仰なしに献げ、自己鍛錬し、施しをしたところで何の意味にもならない。それはAsat(アサット)=不真実と呼ばれ、今世においても来世においても無益だ。
『バガヴァットギータ』1728

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2020/9 Reconnection 再び繋がり結びあう

ヤマ ニヤマ アサナ プラナヤマ プラティヤハラ ダラナ ディヤナ サマディヤヨ シュタヴァンガニ (ヨガスートラ 2:29)

禁戒 勧戒 座法 調気 制感 集中 瞑想 三昧、これらがヨガの八支則である (ジヴァムクティヨガチャントブック 16ページ)  

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2020/8 Prerequisites 必須条件


サ エヴァヤム マヤーテ ディヤ ヨーガハ プロクタハ プラータナハバクト シ メサカハ チェティ ラハシャム ヒェタド ウッタマム

最高神との関係性の科学がこんにち私によってあなたに伝えられるのは、あなたが私に対しての献身を捧げる者であり、私の友であるから。献身者であり友である、それ故にこそ超絶的なヨガの科学という神秘を理解できるのである。(バガバッドギータ4-3 ACバクティヴェダンタ・プラブパダ氏の訳文による)

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2020/7 Compassion during Crisis _危機中の思いやり


yaṁ hi na vyathayantyete       puruṣhaṁ puruṣharṣhabha      ヤム     ヒ ナ ヴャタヤンティエテー  プルサム      プルサルサバーsama-duḥkha-sukhaṁ dhīraṁ        so ’mṛitatvāya kalpateサマ   ドッカ  スカム     ディーラム     ソームリタットワーヤ  カルパテー
幸福によっても、苦悩によっても乱されない者は、確かに解放/悟りに適している。 バカバットギータ2-15

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2020/6 Opportunities: チャンス-


vastu-sāmye citta-bhedāt tayor vibhaktaḥ panthāḥ (YSⅣ.15)
客体は同一であっても、それを受け止めている心が様々であるから、認識も異なる。(ヨーガ・スートラ4章15番)
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-黄鶴楼-昔人已に 白雲に乗じて去り此の地空しく餘す 黄鶴樓黄鶴一たび去って 復返らず白雲千載 空しく悠悠晴川歴歴たり 漢陽の樹芳艸萋萋たり 鸚鵡洲日は暮れて郷關 何れの処處か是なる煙波江上 人をして憂えしむ

伝説にある仙人はすでに黄色い鶴に乗って飛び去ってしまった。この地にはただ黄鶴楼だけが空しく残っているだけだ。飛び去ってしまったあの黄色い鶴は、二度と戻ってはこない。ただ白い雲だけが、千年を隔てた今もゆったりと浮かんでいるだけである。晴れ渡った長江の向こうには、漢陽の木々がはっきりと見え、中州の鸚鵡洲には春の草木がかぐわしく生い茂る。日が暮れてきた。故郷はどちらの方向だったか。川面を覆う靄が私の憂いをかきたてる。

-崔顥『黄鶴楼』より

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2020/5 

sarva-bhutastham atmanam sarva-bhutani ca-atmani iksate yogayukta-atma sarva-tra sama-darsanah BG VI.29

ヨギはいつでもあらゆる存在に神聖な自己を見る。

ジヴァムクティヨガ チャントブック19頁

動物愛護のヴィーガン活動家の友人が、お題についてより良い話し手になれる何かヒントは無いかと聞いてきました。「誰に話をしようと思ってるの?」と私は聞きました。「一般の人よ。典型的な、無知で小さなアメリカの街に住む人たち。ビールを飲んで、小型貨物自動車に乗って、フットボールを見て、狩や釣りが好きで、だいたい共和党ね」と彼女は冷笑しました。 「それで、その人たちと何が話したいの?」「ヴィーガンになってもらいたいのよ」「本気で言ってるの?」 「どういうこと?もちろん本気よ!」「分かったわ。ただちょっと確かめただけよ」「確かめるって何を?」「ただ自分の怒りをぶつけようとしているだけじゃないかどうかよ」「そうよ私はその人たちに怒ってるわ!」「その人たちと話をするのに、その怒りはあなたにとって価値があるの?」「んー、ヴィーガンのメッセージを伝えたいのよ。その人たちにもっと優しい人間になってもらいたいの」「それなら、その人たちを優しい人間として、神聖な人間として見ないと。」「いいえ!彼らは神聖な人たちなんかじゃない!彼らはヨガの人たちじゃないもの!無知で、愚かで、はなはだしくて、自分勝手で、偏屈で、大体が人種差別と家庭内暴力をするわ。ほんと人間のくずよ。」「その人たちを神聖な人たちと見ないと」私は再び言いました。「出来ないわよ!」「その人たちを、優しさと慈愛を持つことのできる神聖な人たちだと見ることが出来ないなら、そうなることをどうやって期待するの?」「しばらくそれについては考えるわ」影響力のある話し手になり、人々を、動物に対して敬意を持ち、親切で慈愛があり、動物を食べることを止める人間になるよう自分の言葉で動かすためには、まず最初に自分自身が喜び溢れるヴィーガンになることです。あらゆる人が、親切を施したり、共感したり、慈愛の対象となる機会を与えてくれている者として見ましょう。誰に対しても、その人が悟るために自分を必要としている、意地悪で、愚かで、慈愛に欠けている人物なのだと見ないこと。あなたが話しかけるその人が慈愛の無い人だとみるなら、どうしてその人がその人自身の慈愛を自覚すること出来るでしょうか。誰かに話す前に、自分自身に問いかけましょう。この人に、その人自身のことをどう感じて欲しいのか?その人の最高の潜在能力を見る大きな心を自分が備えているのか?そうなるためには、彼、彼女が振り向くためのスペースを与えるために、彼あるいは彼女に対するあらゆる否定的な考えを率先して放棄しなければなりません。誰かに話をする時、その人があなたの根底にあるのが軽蔑なのか、それとも尊敬なのかをその人は感じることが出来るのだと心に留めておきましょう。そして、それによってその人はあなたの言うことを聞き入れる事が出来るかどうかを決定するのです。彼ら/彼女らに話をするのは何がゴールだからでしょうか?あなたの怒りをぶつけたり、意地悪をしたり、自分の優性を誇示したり、ひどく叱りつけたりして、その人に罪悪感を感じて欲しいのでしょうか?あるいは、その人たちにより良く変わってもらうように、そして動物が苦しむ原因となる人間にならないように、そのための力を与えたいと本当に思っているでしょうか?本当にお肉を食べて欲しくないと思うなら、その人の中にあるその潜在能力を見て、その潜在能力に対して話をしなければなりません。活動家についての最も大きな誤解は、愛や受容よりも嫌悪と怒りの方が強い動機になっていると考える事です。 世界が自分に迫り、そしてそれに対して戦わなければならないと思う時、あなたは戦争に交戦しているのです。そして戦争は決して平和をもたらさないだけでなく、あなたの中の愛の力を動かすことも出来なくなるのです。ヴィーガンと肉食の人、良い人と悪い人、被害者と加害者、これらを分けた世界とすると、結果はより分割されたものとなり、私たちが探していると言う平和で統一された世界になりません。活動家についての一般的な誤解は、攻撃性のない支持の効力に対する困惑から始まります。攻撃性は支持に反して対立的で反抗的です。攻撃的でない支持の表現は、締まりが全く無く、無駄で、逆に攻撃性と結びつくような支持の方が効果的だ、という一般的な認識は誤解です。 自分の目的を効果的に押し通すために攻撃性が必要だとする考えでは、引出された変化も、あらゆるコミュニケーションのチャンスを密かに阻害し、コミュニケーション無しでは、問題に対して知的に解決することは不可能です。単に自分の怒りを表すだけでは、継続的で効果的な変化を作り出すことは出来ないのです。長い目で見た目標は、問題をより深くみるようになり、全てを含んだ解決策を打ち出すようになります。二人の人間が争うということは、個が異なっていると捉えることなのです。会話を始めるためには共通の基盤を見つける能力が不可欠です。そうするためには、自分が相手に持つかもしれない敵意や軽蔑を取り払わなければいけません。支持と同様に攻撃も行動、言葉、思考の形に現れます。 自分が彼ら/彼女らに対してどう感じているかをその人はいつだって感じることが出来ます。そしてそれがあらゆる相互作用を決定するのです。再度言いますが、もし、他者が潜在的に優しく、慈愛ある存在だと見ることが出来なかったら、どうして彼ら自身がそういう存在だと分かってもらうことが出来るでしょうか。相手の良さを思い、その人の幸せを望むことは、たとえ今はその人の考えや行動に同意できないとしても、それがスピリチュアルな活動の鍵なのです。 あなたの視点に賛同しない人と会話をすることになった時、自分自身の忍耐という場所から来たのだということを確信してください。ダライ・ラマはこう言います。「私は、誰であろうと会う人は古い友人として扱います」「このことが私に本当の喜びを与えてくれるのです。これが慈愛の練習です。相手が否定的であっても、本当に慈愛ある態度は変わることが無いのです。」そして、ハーバードの教授であるアーサー・C・ブルックスはこう言います。「もし相手に対する軽蔑の念を感じたら、相手に温かい心持ちを持つ練習をしよう。ドクター・マーチン・ルーサー・キングは、このことをこう言っている、「あなたの根底にある軽蔑の念を感じることの出来る誰かとの間に道徳的な基盤はない」」

2020 April Focus of the Month

The Crown of Creation 創造物の王位の冠

この大いなる世界それはつまり私達の大いなる心であり、私達の選択がこの世界と心にどれほどのインパクトを与えるか、意識を持ってさえいれば、社会の一員としての認識はさらに広がり、私達が地球の生命の一部だという理解になる。私達はお互いの夢の一部であり、お互いの深層の一部、お互いの祈りの一部、私達はお互いの大きな望みの一部で、お互いの欲求の一部、私達はお互いの充足感の一部なのだ。社会の中や、私達自身にも、体の中にも、神経組織の中にもある、恐怖のレベルを減らそうと思うなら、踏むべきプロセスはすべて同じ。日々の暮らしの中で行うすべての物事に疑問を抱くことだ。環境活動がもたらしている前進のひとつは、私達がどれほど自然界と相互に結びついているかを認識させてくれるということだ。私達が森林に対してしていること、私達が海洋にしていること、河川に対してしてること、大いなる生物圏に対してしていること、それらはすべて必然的に自分自身にしていることになる。空気を汚染すれば、私達自身を汚染することになる。私達がすべての生物の生命と、互いに関係し合い、互いにつながっている度合いがどれほどのものか理解すれば、私達はもはや皮膚で守られたエゴとして狭い範囲で生きる道を見つけようとする小さな自己ではなく、生命それ自体を運ぶゆりかご・乗り物になれる。私達はもっとより高い自己へと、本当の自己へと、真実の自然へと、大きく発展できる。

・・・ジョン・ロビンスの歌「Is this a bridge Exactly」オーディオレターより

コロナウィルスは動物原性感染症の病気、つまり動物から飛び出したウィルスが人類に発生した病です。奴隷のように隷属され、捕らえられ、苦しみのもと監禁されている動物たちのストレスが、病理弊害をもたらすことは知られています。私達は過去のパンデミックからこの事実を知っているのです。突然変異によって病気が生物の種を飛び越えるという現象は、例えると旋毛虫寄生や結核、元々は豚にみられた病気であった豚インフルエンザ、鳥から発生する鳥インフルエンザ、馬痘が変異して天然痘になったり、ウシ科の牛疫が麻疹になり、クロイツフェルトヤコブ病が人間にとっての狂牛病になったりしました。2003年のSARSパンデミックに似ているとされる現在のCovid-19(新型コロナウイルス)はコウモリから感染したものと考えられています。科学者の多くがAIDsについて野生動物の肉を通して人間に広がったと考えています。2014年、アフリカを起源としたエボラ出血熱の大発生は野生動物の肉を食べたことが原因だと信じられています。野生動物の肉というのはコウモリとかアンテロープ(アフリカ産のウシ)、サル、ヘビ、ネズミなど多くの野生に生きる動物の種のことです。

もうそろそろ動物を食べるなんてことをやめてもいい時なのではありませんか?動物を捕まえるのをやめていい時ではないですか?動物たちをケージにいれるのをやめる時じゃないですか?彼らを暗い倉庫や飼養場や納屋に監禁するなんてやめる時じゃないですか?動物たちを商品として飼育するなんてやめる時じゃないですか?彼らを世界中で毎年何十億という単位で殺戮するなんてやめる時がきたのではないですか?ほかの誰かが動物を食べようという選択をするときそんなことを言うと、それは彼らの選択であり関わりのないことだという人がいます。でもそれを言うなら最近のコロナウィルスの発生についても中国の動物市場は私達の選択から発生したものであるとも言えるのです。動物を利用して虐待するいかなる場所のことも私達にかかわりがあることなのです。動物を隷属し、搾取し、虐待することがあらゆる国で、陸地で、海で起きているのです。それは株式市場が最初にできてからこれまでずっとグローバルエコノミー(地球規模の経済活動)の基礎を作り上げてきたのです。

そうです、いまこそ中国やほかの国々とって生物の売買や、取引、野生動物のいる現場で殺戮する市場を閉鎖するよいステップなのです。しかしそれだけでは根本的に撲滅することにはつながりません。コロナウイルスを運んでくる野生動物を非難したり、コウモリをすべて駆除したいと考えるのは、私達の母なる自然に対する文明戦争の一例といえます。恐怖心をすべての野性的な物事に対して拡大させながら、一方で私達は他の生物に対する優位性を築き上げてきたのです。他者を非難しても決して妥当な解決法にはなりません。

中国とか他の場所を非難して指さすことは、世界中で私達がやってきたこと、つまり動物たちを農場やケージに監禁する、というようなことを無視する行為です。中国の動物市場と違いがあるとすれば、私達の市場では動物を薬漬けにして人目に触れないように隠してきた、ということくらいです。USDA(米国農務省)によって処方された抗生物質を大量に投与しても、その他の健康に関する組織がアグリビジネス(企業的農業)を規制しても、過剰に混雑した工場化農場や屠殺場があるかぎり、寄生虫やバクテリアなど新たに生まれた病原菌とウイルスなどを含む、あらゆる抗生物質に耐性のある病気を生み出す土壌になるのです。屠殺場や農場は清潔な場所とは言えず、そして絶対に心優しい場所ではありません。屠殺場や農場は恐怖と暴力の場です。動物たちは傷つきやすく、ストレスを受けて、病気になり、恐怖心に満ちています。豚インフルエンザを思い出してみてください、2010年に地球規模のパンデミックを起こし、世界中で何十万人もの人が亡くなりましたが、家畜化した豚と動物を利用しているアグリビジネスとの関連性があるために、多くの部分が世に知られず曖昧にされたままになりました。

私達は過去を振り返ることで新たに学ぶことができます。しかしそれでもなお、大きな疑問として残るのは、「では、いま、なにをするのか?」です。いま、一人の個人として、責任を逃れて他者を非難したり、不平不満を言うべき時でしょうか。恐れを抱いて生きるのか、それとも怒って政府のリーダー達に対してこの事態を何とかしてくれと要求をするのでしょうか?この事態に目を背けて見ないふりして陽気に騒ぎますか?手を洗ったり、トイレットペーパーを買い込むのですか?科学者達が早く解決策を見つけて、私達にワクチンを与えてくれて、もとの普通の生活に戻れるようにと期待して待つのでしょうか?もとの普通の生活といっても、それは全然サステイナブル(地球環境を維持する)とは言えない生活であり、しかも次のパンデミックが起きるまでの生活だとわかっていて、そんな生活に戻れるようにと期待して待つのでしょうか?こうした状況下だから、恐怖や怒り非難が正当化されるのでしょうか?それで本当に救いになるのでしょうか?ヨギとして、私達は責任もって自分の行為を浄化すべきです、そうすれば他者に対するインパクトを最小化できるのです。どんなことでも他者に対する行為は必ず私達に返ってきます。私達自身の健康も、幸福も、悟りも、他者にどう接するかによって決まるのです。生命のすべては互いに依存しあっているのです。私達が互いにする行為がすべての人に影響するのです。他者に不幸をもたらすことで本当の幸せを得られる人など一人もいません。これは他の動物や、地球環境を含めて同じことが言えるのです。もしも私達が自由を価値あるものと思うなら、私達のつとめは生命すべての自由解放(悟り)であるべきなのです。

コロナウイルスの「コロナ」とは王位・冠を意味する「クラウン」のことです。人類は長い間自分たちが創造物の王位にあると感じてきました、それはあらゆる姿形をした生き物たちの優位にあるという考えです。そんな私達の傲慢が、「力あるものが正しい」という態度を正当なものにして、目先の利益のために他者を隷属したり搾取することを正しい措置だとみなしてきたのです。きっと母なる大地・自然は、私達の欲求にただ答えて、人間達が自分にふさわしいと主張するクラウン(王位の冠)を与えただけなのです。かつて1960年代にジェファソン・エアプレインのヴォーカルだったグレース・スリックが、こう歌っています、「君は創造物の王位、でも君には行くべき場所がない」…これは現代の私達にとって目覚めを促す警告と受け止めるべきなのかもしれません、つまり私達は皆、この小さな星に閉じ込められて生きていることを自覚するべきだという警告なのかもしれません。この危機的状況にある今、一つのよい機会として、この薄汚れた身の丈に合わない王位の冠を脱ぎ捨てて、謙虚にその裸になった頭を垂れ、創造物と神に対しての畏怖と尊敬の念を、そして愛のある貢献をするべき時ではないでしょうか。

Teaching Tips (教えるときのヒント)

このエッセイ(またはその一部)をクラスに出席している練習生に読んできかせましょう

Essential Teaching & Safety Tips (教えるときのエッセンスと安全のためのヒント)

誰一人として新型コロナウイルス(Covid-19)に感染するリスクを完全に除去できる人はいません。社会的に距離をおくために休む、人から人への感染の連鎖をゆっくりにする、などを健康維持のためのシステムが崩壊しないために行いましょう。

あなたの地域の健康に関する当局や政府が発令するアドバイスには十分に敬意を払い、きちんと注目しておくことを私達はすべての人に求めます。

それに加えて、免疫システムを高めるためにできることはすべて行いましょう。免疫システムの80%は内臓のバイオーム(生物群系統)ですから、摂取栄養を改善して最善の免疫機能をサポートしましょう。

ビタミンA、B、C、そして亜鉛、鉄、セレンなどのミネラルを多く含むヴィーガンフードをたくさん食べましょう。葉物の野菜、豆類、豆腐や種子類、そして穀物やナッツ、黄色やオレンジ色の野菜のほか、柑橘類の果物、ブロッコリー、トマト、豆、マッシュルーム、赤ピーマン、ショウガ、ほうれん草、ターメリック、それにニンニクなどを薬として、そして内服として摂取しましょう。

きちんと濾過された水や緑茶をたくさん飲みましょう。

検疫のために隔離されているのでないなら、毎日少しの時間は屋外に出て、ビタミンDを取り込み、母なる地球とのつながりを持つように努めましょう。

毎晩十分な睡眠を最低でも7時間から9時間はとりましょう。睡眠は健康を守ったり病気から回復したりする能力を体に蓄えるためには必須です。この静かな時間を最大限生かして社会的な活動は少なめにして、疲れたらいつでもお昼寝しましょう。

毎日最低でも15分くらいは瞑想してストレスレベルを上手に管理しましょう。ヨガアサナの練習をしましょう。シャバアサナを抜きにしてはダメですよ。むしろ普通にするより少し長めにシャバアサナしましょう。

体を動かすエクササイズは気分をあげてくれるし健康を整えてくれます。毎日ほどよい適度なエクササイズを行いましょう。適度な運動は炎症を鎮めてくれますし、体の中で感染症と闘う細胞のサポートをしてくれます。

SNSなどソーシャルメディアから離れて、コロナウイルスに関するニュースをフォローするようなオンラインに使う時間を制限しましょう。プラグを抜いて気分をゆるめることはきわめて重要だということを忘れずに。

心を高め守るため、一日のうち何回かはマントラをチャンティングしましょう。ジヴァムクティチャントブックを参照してマントラや祈りをセレクトしてください。

あなたがヨガの先生なら、練習生とつながっているための新たなクリエイティブな方法を見つけてみましょう。デジタルチャンネルを立ち上げてもいいし、ライブストリームとかレッスンを録画したりして、家にいなければならない人たちでも練習を続けられるようにしましょう。自分自身の人生を向上させたいならば他者の人生を向上させることだ、ということを忘れずに。

あなたがヨガの練習生で、いつも通ってるレッスンを受けられずにいるならば、好きなヨガスタジオや先生がデジタルレッスンを提供しているかどうか調べてみてください。スタジオや先生達の多くがオンラインの授業を提供し始めています。安全に。健康で。心からのケアで。ヨガであるように。