Om
sat-sangatve nissangatvam nissangatve nirmohatvam
nirmohatve niscala-tattvam niscala-tattve jivanmuktih
bhaja govindam bhaja govindam bhaja govindam müdhamate
- Bhaja Govindam by Shankaracarya
オーム
善き人々(真理の探求者)との交わりによって、執着のない心が生まれる。
執着のない心によって、迷妄(錯覚)から離れる。
迷妄から離れることによって、真理に確立される。
真理に確立されることで、魂は生きながらにして解放(ジヴァムクタ)される。
ゴヴィンダ(神)を讃えよ、ゴヴィンダを讃えよ、
ゴヴィンダを讃え、迷いの中にある賢者よ!
バシャ・ゴーヴィンダム
by シャンカラーチャーリア
種子が発芽するとき、最初に行うのは芽を上に伸ばすことではなく、根を下に伸ばすことです。地球の中心へと向かうこの動きは、自然界において「安定が拡大に先立つ」ということを思い出させてくれます。若い芽はまず大地の核心を求め、自らをしっかりと根づかせてから光へと伸びていくのです。同じように、パタンジャリはスピリチュアルな成長もまた「確固たる基盤の上にある修練(dṛḍha-bhūmi)」に依存すると説いています。つまり、木が深く根を張ってから青空へと枝を伸ばすように、私たちの修行(練習)もまず地に足をつけることが大切なのです。
スッピリチュアルな修行は、種子が根を張る過程と同じ原理に従います。アーサナ(ポーズ)、瞑想、マントラの実践は、いつの日か明晰さや洞察という花を咲かせるかもしれません。しかし、根——すなわち規律、一貫性、献身(貢献)——がなければ、ほとんど何も育ちません。根が強ければ強いほど、木はよりたくましくなり、私たちの修行もまた、より柔軟で揺るぎないものになります。浅い根の体系は一時的には生き延びるかもしれませんが、一度の嵐で引き抜かれてしまうこともあります。けれども、しっかりと根づいた修行は、風にしなやかに耐え、経験という大地の奥深くから自らを養い、困難の中でも成長を続けるのです。
根は目に見えない存在ですが、大地をしっかりと支えています。人類はこのことを痛みを通して学んできました。森を伐採し、根の仕組みを取り除くことで、私たちは侵食や地滑り、そして地形そのものの崩壊を招いてしまうのです。見えないものこそ、見えるすべてを支えている――それが自然の真理です。
同じように、私たちの内なる世界も、目に見えない精神的な働きによって保たれています。日々の瞑想、静かな学びの時間、誰に見られることもなく差し出される思いやり――これらが心の土台を守っているのです。そうした「見えない錨(いかり)」を失うと、心は浸食され、意見、誘惑、欲望といった絶え間ない潮流に形を変えられてしまいます。
「根を下ろす」という言葉には、場所や共同体、ある生き方に対して「身を委ねる」「関わり続ける」という意味もあります。ヨガでは、この関わりをサットサンガ(satsang)と呼びます。善き仲間とのつながり、つまり修行者たちが互いに励まし合い、支え合う場のことです。
科学の世界にも、この真理を映し出す現象があります。生物学者が「菌根ネットワーク(mycorrhizal network)」、または「ウッド・ワイド・ウェブ(wood wide web)」と呼ぶものです。これは地下に広がる菌糸の網で、木々や植物の根を遠くまでつなげています。このネットワークを通して、森は警告や養分を分かち合うのです。ある木が害虫に襲われると、近くの木々は防御物質を増やし、貧しい土壌で育つ若木には、成熟した木が菌糸を通して栄養を送ります。さらには、枯れゆく木でさえ、残された炭素や鉱物をネットワークに放出し、他の木々を養うことが確認されています。
この菌根(きんこん)ネットワークは、「サットサンガ」の印象的な比喩を示しています。
私たちもまた、共に修行(練習)を重ねることで、栄養、智慧、慈悲、そして思いやりを分かち合っています。ある修行者が苦しむとき、他の者がその人を支え、ある人が成長すると、その恵みが全体を豊かにするのです。私たちの根が、個としても集団としても強く深くなるほど、コミュニティとしての回復力はより大きくなります。
しかし、ときに私たちは「根こそぎにされた」ように感じることもあります。修行や師、帰属意識とのつながりを失い、喪失・悲しみ・疑念によって、まるで土を奪われたように漂うことがあるのです。
それでも、「帰る」こと、再び根を張ることへの本能的な力はとても強いものです。
再び大地に根づくために何年もの努力が必要なこともあれば、マットに立った瞬間、瞑想の座についた瞬間、あるいはただ意識的に呼吸を思い出したその瞬間に、自然と戻ることもあります。
瞑想は、まるで根が静かに深く伸びていくように、私たちを静寂へと導きます。
それは落ち着かない心をしっかりと固定し、これまで育んできた修行によって私たちを養うのです。
瞑想は、私たちが「自らの根に帰る」ことを可能にします。
私たちのスピリチュアルな人生は、生きた生態系のようなものです。
唱えるマントラひとつ、奉仕の行いひとつ、沈黙のひとときひとつが、私たちの足元と互いのあいだにある見えないネットワークを強化します。
根を養うとは、この見えない「修行の大地」を世話することです。そこへ何度も戻り、やがて安定が自分の本性となるまで繰り返します。
その根づきから、成長・力・広がりは自然に生まれます。
しっかりとした根を持つヨガの木は、どんな嵐にも耐えることができるのです。
著者 : Jules Febre ジュールス・フェブレ
訳:Aiko Nagata 長田 藍子

