2021/09

Focus of the month September   A Simple Acorn ほんの一粒のドングリ   

サルヴェシャム スヴァスティル バヴァントゥサルヴェシャム シャンティル バヴァントゥ サルヴェシャム プルナム バヴァントゥ サルヴェシャム マンガラム バヴァントゥ 

(すべてのものに幸運がありますように すべてのものに平和がありますように  すべてのものに豊かさがありますように すべてのものに繁栄がありますように)  

私の祭壇には、何の変哲もない素朴なドングリが一粒供えてあります。
小さなドングリですから、私の手のひらにすっぽり収まるほどです。
そうして毎日ドングリを手にすると、このフレーズが頭に浮かぶのです。
「大きな樫の木も小さなドングリから生まれでる」と。
この小さなドングリの中には、大きな樫の木の森全体を作り出せるほどのポテンシャルが秘められているのです。
必要なのは、地面に植えてもらうこと、発芽するための時間、成長するための時間、栄養を与えられる時間、するとドングリは内に秘められた本質的な可能性のすべてを実現し成し遂げてしまうのです。
ドングリは平和のシンボルと考えられていますが、ほかにも繁栄を意味するとされており、この小さな1.2粒の種の中にスピリチュアル(精神・霊的)な成長が納められているのです。 
 1969年にジョン・レノンとオノ・ヨーコが始めたのがピースプロジェクト(平和のための運動)です。
彼らは小さなケースにドングリを2粒入れて、世界のリーダー達に手紙を添えて送りました。
それはドングリを植えて世界平和を広げようというもので、ジョン・レノンはその活動を「ギヴ・ピース・ア・チャンス(平和にチャンスを)」とよんでいます。のちに彼はインタビューに答えて、こう説明しています。
「送ったドングリに対して反応してくれる人もいたよ、実際にドングリを植えたって言う何人かの首長たちもいたし、植えたドングリについて返事を書いてよこした人もたくさんいたんだ。僕らは実際ほんとうに世界中のみんなにドングリを送ったんだ」。
平和の活動家であったジョン・レノンとオノ・ヨーコは、その活動をプラットフォームとしてその時代の世界の権力機構や政府や政治体制にあえて議論を喚起する会話を求めました。
レノンはさらにヒッピー達の活動はうまく機能してこなかったと明言し、だからこそ私達が新しいムーブメント(活動・運動)に再びトライするべきだと述べました。
  「平和」という言葉は、不安(動揺)からの自由(解放)という意味や、暴力がないこと、戦争がない状態または戦争が終わっている期間を意味します。
人類はその歴史を通してずっと、抑圧された人々や、弱いと見なされている人々、自分のために声を上げることができない人々に対して、戦争を遂行してきました。
こうしたことが起きるのは、私達自身の内にあるアヴィディア、つまり深く根ざした不安・動揺があるからです。
アヴィディアはヨガでいうところの5つのクレシャのひとつで、他者への行いが最終的には自分に返ってくるという知識を間違って誤認している状態なのです。無知な状態でいることは平和な状態であるとは言えません。
不安・動揺から自由・解放されるためには、何が私達を不安におとしめているのか、その根底にある原因にまで深く掘り下げるべきなのです。
それこそがヨガが私達に教えてくれていること、つまり物事の表面じゃなくその下まで深く突き詰め、私達の心と体と知性を動揺させ不安にさせているのは何なのかを見つめることです。
内なる根っこを深く掘り下げてみると、平和を具体的に実現する心の落ち着き・均衡(バランス)を作り出せるのです。
落ち着いた心の状態、そこからこそ平和の種を自分の中に植え付蹴ることができ、ひいては周囲にもその種を植えることになるのです。
この平和こそが、あなた自身の本質であり、それは喜びに満ち、穏やかで、満ち足りたあなたの本来の姿です。  
戦争を始めてしまう循環のただなかにありながらも、私達はその歴史を通して、反戦活動およびその運動を始める個人を含めた平和のための運動も、同じように湧き上がったことも知っています。
そうした活動は、立場や立ち位置の変化をもたらし、ある一定の考え方・アイディアを持つグループにいる人がその意見を変えたり個人の生き方を変えたりすることもあるとされています。たとえばガンジー、マーティン・ルーサー・キング、そしてグレタ・トゥーンベリなどを見ていればわかるように、こうした考え方・アイディアを持っている人はその時代にインスピレーションを与える力を持っています。
たった一人でも、その平和的な抗議や行動で、政治的・社会的な変化に影響をもたらすことができます。
BLM(訳注:「黒人の命も大事だ」という人種差別に抗議する社会運動)もそうだし、地球環境の気候変動活動(訳注:グレタ・トゥーンベリなどがその筆頭の活動家)、そして動物の権利を訴えるキャンペーン活動(訳注:アニマルウェルフェア、動物愛護の運動)なども、社会に前向きな変化をもたらそうという活動メッセージを掲げ続けています。
けれど、どんな個々人のグループに対してであっても、彼らに暴力的な行動を起こすのは平和の真逆の活動です。
ドングリは最近では「膝を折っても抗議する」運動(訳注:アメフト試合の国歌斉唱を拒否して片足膝立ちすることで人種差別に抗議することからはじまった運動)でもシンボルとして知られるようになりました。
  私達の師にとってのグルであるスワミ・ニルマラナンダ師は、平和な生き方・あり方を推し進めるために、その生涯をかけて世界のリーダー達に多くの手紙を書きました。
彼は瞑想が自分自身に回帰する方法だと教えを説きました。静かに座り、一カ所に居て、そして自分のマインドに向き合うのです。
この自己質疑の中心・核になるところに、私達の本来の自己(訳注:大文字のSelf=自己にある神聖)がその姿を見せるのです。
ニルマラナンダ師は彼の著書「ガーランド・オブ・フォレスト・フラワー」の中で次のように述べています。
「私達ひ一人ひとりは平和で自由で幸福のうちにある自分の宿命を手にするため、自主的であるべきだ。
その自主・自由は決して他者の権利・利益を傷つけるものであってはいけない。リシ達は毎日の瞑想の終わりに、「世界のすべてのものが幸せで豊かであるように」と祈ったのだ。彼らのメッセージの中心にある大事な要素は本来の自己(自己にある神聖)を実現すること、そして平等な視点を持って均衡のとれたマインドで生きることだ」。
  シャンティ・マントラ(平和のマントラ)である「サルヴェシャム スヴァスティル バヴァントゥ」は「ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド」に由来があると知られていますが、その教典のオリジナルのままではありません。
その時代に森で修行するリシ達・ヨギ達は、本来の自己(自己にある神聖)を理解したいという関心を持っていた求道者達に対して、その知識・理解は万物の中に普遍の存在があると認識することで得られるのだ、と教えを授けました。すべてのいきとしいけるものに幸福を、平和を、豊かさを、繁栄を、と切望することで、「他者」という考え・態度が消えて、「ヨガ=結びつき・繋がり合う」ことで自由な心の状態が育成されるのです。
「アヒムサ=無害である状態・非暴力」という言葉は平和を推し進めようという姿勢・態度でもあるのです。
ヨガでは、「ヤマ」のうち「アヒムサ」とはパタンジャリ師によるヨガ・スートラにおいては第一のステップです。
パタンジャリ師はヨガスートラ2章35節でこのように述べています。

「アヒムサ プラティシュターヤーム タット サンニダウ ヴァイラ ティヤーギャハ」つまり、他のいかなる他者に対しても害を与えない(傷つけない)ことで、いかなる他者も私達を傷つけることはない。
この教えはヨガに関心のある人になら明瞭にわかりやすいメッセージであり、自分の行動や他者に対する行いに敬意を込めて、尊厳を込めて、そして愛を込めてすることであれば、それは悟りと幸福へ通じる道となる、と伝えるメッセージなのです。  私達はヨガという活動につながっていますが、それは私達の先生や、さらにもっと前の彼らの先生(師)から、ずっと継承されてきたもので、いまも私達を励まし続けてくれます、すべてのもの(いきとしいけるもの)への平和を熱望しなさい、と。
平和を望む活動を過去から現在へと継承して繋げていくことです。
あなた自身の心に、平和の種をまきましょう。
あなたの行動をすべてのもののための自由と平和に捧げましょう。
私の祭壇には、何の変哲もない素朴なドングリが一粒供えてあります、小さな一粒ですが、毎日わたしに思い起こさせてくれます、偽りのない心をこめた行動意志から生まれ育つのは何なのか、と。
(アンドレア・キアトコスキ著)