2026.6
गोपाल गोपाल देवकीनन्दन गोपाल
ゴパラ ゴパラ
デヴァキ ナンダナ ゴパラ
子供のクリシュナ
デヴァキの息子
牛たちの友
(訳: シャロン ギャノン)

Jivamukti / Focus of the month
ジヴァムクティ・オープンクラスで使われるテーマです。
2026.6
गोपाल गोपाल देवकीनन्दन गोपाल
ゴパラ ゴパラ
デヴァキ ナンダナ ゴパラ
子供のクリシュナ
デヴァキの息子
牛たちの友
(訳: シャロン ギャノン)
by Janka O. and Marie C / May 2026.
オーム ターレ トゥターレ トゥレ ソーハー
チベタン マントラ
あぁ、女神タラ、自由から私たちを掴んでいるものから私たちを解き放つその教えによって私たちを苦難から解放し賜え
英訳:シャロン・ギャノン
このマントラは、タラに困難を退けてもらう事を願うものではありません。それよりも、私たちを縛っているものをどの様に解くのか教えて欲しいと願うものです。この違いは全てを左右します。
チベット仏教の伝統では、絶対的な慈愛の化身とされます。圧倒的な痛みを感じる時にタラは手を差し延べます。緑色した女神として、タラは希望の象徴なのです。彼女の緑の輝きは、全てが影に覆われている様に見える時、私たちを道へ戻るよう導いてくれるのです。彼女は行動における慈愛、守備、恐れないこと、そして目覚めた智慧の女性原理の象徴なのです。
それでもタラは、ただ安心を与える母性的な存在に留まりません。目覚めには勇気が要求されるという彼女からの深い伝えは明確です。つまり、恐れに囚われるのではなく、恐れを突き抜けて行く意志なのです。
多様性の中の強さ
by Jessica Stickler | April, 2026
Om śri-durgayai namah(オーム・シュリー・ドゥルガーヤイ・ナマハ) すべての信奉者を守護する神聖なる母、ドゥルガー・マータに敬意を捧げます。 ~マノラマによる翻訳
ドゥルガーの「百の眼を持つ姿」、シャタークシー(Śatākṣī)は、荒れ果てた時代に地 上に現れました。彼女はそのすべての眼から涙を流し、その涙が川や海を満たしていきま した。やがて草や穀物、植物が芽吹き、魚や鳥、虫や動物たちが再び息を吹き返していき ます。彼女はまさに、春の訪れであり、大地に豊かさが戻ってくるそのものです。自然に おいて、多様性はそのまま強さであり、生態系は、お互いに関わり合いながらともに進化 していきます。これまでの進化に対する考えとは異なり、協力し合うこと、分かち合うこ と、多様であること、つながっていること、そして変化に適応する力(創造性)こそが、 本当の意味での強さを育てていきます。彼女が命の恵みを取り戻したあとも、母という存 在が、育む力と守る力の両方を宿しているのと同じように、やがてまた、地球は守られる ことを必要とするでしょう。
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by Sonia-Lynn Gabriel
March, 2026
Om śrī-mahälakşmyai namah
オーム シュリーマハラクシュマイ ナマハー
調和・繁栄・美を司る女神ラクシュミー・マーに敬意を表します。
~マノラマ氏による翻訳
レバノンで育つ中で、レヴァントの大地と海の豊かさは、いつ何もかも奪われるかもしれないという絶え間ない、矛盾した脅威によってかき消されていました。そのような環境は、豊かさを「蓄積」と混同させやすくし、身を守る手段として何層にも重ねて抱え込むことへと向かわせました。シリア難民のアリは、15歳のときから、ベイルート南部にある私たちの地元のビーチに通い、海面を滑るサーファーたちをじっと眺めていました。ある日、彼は偶然手に入れたポリエステルの破片をナイフで削り、かろうじてサーフボードと呼べる形に作り替えました。そして嵐の日、その即席の板を抱えて海へと漕ぎ出します。波に揺られながらも、決意だけは揺らぐことなく。そのひたむきさと勇気を目にした誰かが、本物のサーフボードを差し出し、立ち方を教えずにはいられませんでした。今ではアリは、その海で指折りのサーファーとなり、将来はシリアでサーフスクールを開くことを目指しています。
ラクシュミーは豊かさの女神であり、絶え間なく与え続ける寛大な母です。彼女は、その豊かさをより繊細な場所に見いだすよう私たちを招きます。彼女は泥の中から伸び、そして空へと開く蓮の上に座しています。空間は不在ではありません。それはあらゆる顕現を生み出す肥沃な土壌、すなわち子宮 ― ガルバ(Garbha)です。私たちがあらゆるものの中にある広がりや空(くう)に気づき始めるとき、現実そのものが持つ豊かな本質に触れることになるのです。
そのポリエステルの破片は、捨てた人にとってはただのゴミであり、浜辺の犬にとってはおもちゃであり、虫たちにとっては住処でした。けれどもアリにとっては、それは海との情熱的な結びつきへと続く扉だったのです。「vastu-sāmye citta-bhedāt tayor vibhaktaḥ panthāḥ」物は固定された同一性を持たず、本質において満ちている。物事は、私たちがそれにどのような意味を許すかによって、その姿をとります。何かや誰かを「こういうものだ」と決めつけるのをやめたとき、私たちは初めて、それらを本来の姿で見ることができます―それは本質的に、無限であり、流動的なのです。その意味で、空は充満のうちにあふれているのです。
近年の神経科学の研究によれば、瞑想などを通して脳が条件づけられた自動的なラベリング(意味づけ)の働きをゆるめると、より生の、今この瞬間の感覚の領域にアクセスしやすくなり、その結果、体験の豊かさが高まることが示されています。万物の境界のない性質は、量子物理学においても表現されています。粒子は重ね合わせ(スーパーポジション)の状態にあるとき、純粋な可能性として存在し、意識的な観測がなされるまで「古典的」な形へとは定まらず、その観測そのものによって形づくられると示されています。私たちが物事にラベルを貼るのをやめるとき、それらが硬直した定義へと「収縮」してしまうのを防ぎます。そうすることで、それらを開かれたまま、豊かで、無限のままにしておくことができるのです。そして、すべてがすでに一つの中に含まれていると気づくとき、私たちはそれ以上を求める必要を感じなくなるのです。
「子どもに鳥の名を教えたその日から、その子はもう、その鳥そのものを見ることはなくなる。」― クリシュナムルティ
空を見てください。言葉をひとつも使わずに、その色を描くことができますか。言葉を取り去ったとき、あなたはそれに、より近づいたと感じますか。信愛の対象を前にして「言葉がない」とこぼれるとき、それは、どんな説明もその計り知れなさを縮めてしまうことを、どこかで知っているからです。木を見てください。いっさいのラベルを外して、それを表そうとしてみてください。そこに、宇宙の広がりが宿っているのが見えますか。その内に抱えられた、尽きることのない豊かさが。身のまわりのあらゆるものを通して、これを試してみてください。そして、自分がその「在る」ということ―すべての充ち満ちたありよう―と溶け合っていくのを見つめてください。これがヨーガ、すなわち合一です。
「ヨーガとは、何ひとつ欠けていない状態である。」― シャロン・ギャノン
どんなに小さなものの中にも、この全体性の感覚を見いだせるとき、アパリグラハ(不把持)は、より自然なあり方として現れます。手放すことが喪失として感じられなくなるからこそ、私たちは強くしがみつかなくなります。満ちているものから、満ちは流れ出る。その逆もまた然りです。与えること。余白を生み出すこと。固く握りしめていたものをゆるめること。何ひとつ本当に失われることはないと知りながら。それこそが、私たちを、現実が本来持つ寛大さへと再び結びつけます。豊かさを積み重ねることとして捉えるのではなく、重ねをほどいていくときに立ち現れる、完全さと合一の状態を見つめるのです。分離という投影を含め、世界にかけてきた幾重もの層を脱ぎ落とすほどに、豊かさの川は、いっそう自由に流れ始めます。
ニーム・カロリ・ババは、弟子たちにこう語っていました。「サマーディを求めるなら、人を助けなさい。クンダリニーを目覚めさせたいなら、人に食べ物を与えなさい。」
寛大さは、満ちているところからあふれ出るものであり、そこへ立ち返るためのまっすぐな道でもあります。万物に宿る仏性、タターガタ・ガルバ( tathagata garbha)について瞑想を深めるほどに、かつて自分とは別だと思っていたすべての存在に対して、私はより深い慈しみを抱くようになります。
欠乏への恐れは、豊かさの対極にあります。私たちは磁石のように豊かさを引き寄せるのではなく、それに気づくことで、空間を流れる川のようにそれを通していくのです。空は、欠如でも否定でもありません。それは、あらゆるものを生み出す母胎です。
ॐ ऐं सरस्वत्यै नमः ‖
Om aim saraswatyai namah
オーム アイム サラスワティヤェイ ナマハ
音楽、言語、芸術、発言、そして、知性の女神である母なる女神サラスワティに敬意を。
英訳:Manorama
このマントラをチャンティングする時、私たちは、知性、創造性、そして発言の女神であるサラスワティを呼び覚まします。サラスワティは白い蓮に座した女神であり、明瞭な思考と純粋な表現で私たちを祝福しています。神話では、私たちが創造したり、学んだり、真実を語る(サティヤ)時に私たちに流れるインスピレーションの流れの化身としての象徴にもなっています。
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智識の可能性
2026/2
ॐ ऐं सरस्वत्यै नमः ‖
Om aim saraswatyai namah
オーム アイム サラスワティヤェイ ナマハ
音楽、言語、芸術、発言、そして、知性の女神である母なる女神サラスワティに敬意を。
英訳:Manorama
このマントラをチャンティングする時、私たちは、知性、創造性、そして発言の女神であるサラスワティを呼び覚まします。サラスワティは白い蓮に座した女神であり、明瞭な思考と純粋な表現で私たちを祝福しています。神話では、私たちが創造したり、学んだり、真実を語る(サティヤ)時に私たちに流れるインスピレーションの流れの化身としての象徴にもなっています。
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2026.1
障害を取り除き、すべての縁起の良い始まりの神であるガネーシャ神に敬意を表します
象の頭を持つ神、ガネーシャとしても知られるガナパティのマントラを唱えると、私たちの道から障害が取り除かれ知恵と成功が与えられると信じられています。それゆえにガネーシャは繁栄と新たな始まりの神です。彼は幼少期をヒマラヤ山脈の聖峰カイラス山で、両親のシヴァとパールヴァテ ィーと共に過ごしました。この神聖な家族の一員として彼は人々を統合し、調和をもたらす役割を担っています。
対して私はヒマラヤ山脈の高山から遠く離れた場所で幼少期を過ごしました。メキシコ北部の谷で両親と育ち、谷を出てより高い場所を探し、新しいことを経験することを夢見ていました。しかし人生の最高峰に到達するにはまずその谷を通り抜けなければならないということを、当時は知る由もありませんでした。
山があれば谷もある。両者は対極としてではなく完全な全体の一部として、絶え間ない調和の中で存在します。自然界において谷は私たちが食料を育て、川が流れる肥沃な土地です。谷は目覚ましい成長を遂げる場所であると同時に、粘り強い精神力を必要とする苦難や挫折の時期を象徴することもあります。
経験に心を開けば、変容は私たちの内なる谷で起こります。より強く、より賢く、これから起こるであろうどんな困難にも備え、新たな始まりへと踏み出すことができます。覚えておいてください、山が高ければ高いほど、谷は深くなります。人生に谷が訪れそこから抜け出せないように感じても、決して落胆する必要はありません。
私たちの師シャロン・ギャノンが教えてくれるように、私たちは認識を変えることで魔法を起こすことができます。両者(山-谷/ 成長-挫折)に同じように振る舞えると想像できますか?挫折が起こった時は、ただ受け入れるだけ。そして至福の出来事が起こった時も、ただ受け入れるだけ。どちらか一方のみを好きにならず心を無関心にすること、それこそがまさに魔法です。人生の浮き沈みを受け入れることで私たちは最高の自由を見つけます。自身の深みへと降りていくことを許せば、本当に感じていることと繋がることができます。愛、痛み、悲しみ、静寂に触れ、独自の美しさを持つ異なるリズムに合わせて踊るかのように。
この受容を通して私たちは乾燥した土壌を成長のための肥沃な土壌へと変容させます。宇宙の力、宇宙的視点を解き放ち、内なる意識の海の無限の存在を感じることができます。自分自身を変革するのです。頂点に達した時の感覚を少しの間じっくりと振り返ってみてください。多くの時間と労力をかけて成し遂げた何か、それを成し遂げた自分を想像してみてください。その達成を喜び味わう衝動がいかに自然に湧き上がってくるかに気づきましょう。でも、これは終わりのない旅のほんの一部に過ぎません。立ち止まり、景色全体、乗り越えた困難、得た知識を観察しそして祝福しましょう!少し時間を取れば意識的にそしておそらくいつか、新たな冒険が待ち受ける谷へと降りていくのも楽しめるようになります。
人生のサイクルは常に試練をもたらします。そんな時こそパタンジャリ師が1章29番で教えていることを実践する機会だと捉えることができます。”そこから(神へのチャンティングと瞑想によって)意識が洗練され、内へと向かい、隔りは解消され、内なる神聖な存在に気づく”。マントラを唱え神聖な存在に瞑想することで、心は自らの素質に気づき、試練に立ち向かう勇気を見出します。何も恐れることなく、探求者になりましょう。家を出る必要はありません、ただ目を閉じ、広大な未知の世界へと深く潜り込みましょう。
成人初期に私は谷から山へと移り住みました。ガネーシャの天上の住まいに比べれば、その高さは慎ましいものでしたが、時が経つにつれ、高みと深みの間を行き来することで、複雑でありながらも美しい経験というタペストリーが織りなされることに気付きました。ガネーシャには人生の障害を取り除いてもらえただけでなく、それらを私の前に置いてくださったことにも感謝しています。おかげで私は成長を続け、真の自己へと変容していくことができています。
著者: Mayela Gonzalez マイエラ ゴンザレス
訳: Yuri OGAwa ユリ オガワ
シャロン・ギャノン | 2025年12月
Om sri-krsnah saranam mama
私は、すべての存在の本質である神クリシュナに帰依します。
― シャロン・ギャノンによる解説
プラティヤーハーラ(制感)は、パタンジャリが説く八支則の第五枝であり、一般的には「引き下がること」。つまり、心と五感を外界から退けること、と説明されてきました。しかし、多くの場合これは感覚を避けること、無視すること、否定することという意味にすり替えられてしまったように思います。その解釈は、世界を霊性の敵のように捉える姿勢へとつながり、私たちの意識を狭め、自然から切り離し、世界を「善と悪」に分断する分離意識を強化し、精神的進化を妨げてきました。しかし、少なくともバクティヨガ(献身のヨガ)の視点から見れば、プラティヤーハーラは排除ではなく包含です。『バクティは感覚を愛する』とシャムダスは言いました。では、プラティヤーハーラとは何なのか?どう実践し、ヨーガ―すなわち「神の実現」や私たちの自然との断絶を癒すこととどう関わるのでしょうか?
Om
sat-sangatve nissangatvam nissangatve nirmohatvam
nirmohatve niscala-tattvam niscala-tattve jivanmuktih
bhaja govindam bhaja govindam bhaja govindam müdhamate
オーム
善き人々(真理の探求者)との交わりによって、執着のない心が生まれる。
執着のない心によって、迷妄(錯覚)から離れる。
迷妄から離れることによって、真理に確立される。
真理に確立されることで、魂は生きながらにして解放(ジヴァムクタ)される。
ゴヴィンダ(神)を讃えよ、ゴヴィンダを讃えよ、
ゴヴィンダを讃え、迷いの中にある賢者よ!
バシャ・ゴーヴィンダム
by シャンカラーチャーリア
प्रच्छर्दनविधारणाभ्यां वा प्राणस्य ॥ १.३४ ॥
pracchardana-vidhāraṇābhyāṁ vā prāṇasya
プラチャーダナ ヴィダーラナービャン ヴァ プラーナヴァ
呼吸の吐息と保息を練習することで、揺れ動く心も落ち着く
呼吸のはき方と止め方を練習することで揺れ動く心も落ち着きます。全く予期せぬ知らせが届きました、身近な人が突然亡くなったのです。涙が溢れ、衝撃と悲しみ、信じられないという思いが私を襲い、息もできませんでした。親しい友人でありヨギーでもある彼が何も言わずに私を抱きしめてくれました。私をしっかりと抱きしめて、ゆっくりと、安定して、深くリズミカルな呼吸を始めました。私もそれに従い始めると、すぐに心が落ち着きました。
私たちは皆呼吸が心の状態をはっきりと投影する状況を経験したことがあるでしょう。例えば怒りは短い息、悲しみはすすり泣く息、緊張は短く速くそして浅い、他にも様々な感情を反映します。パタンジャリはこのスートラの中で、思考や感情の起伏を鎮めるための多くのテクニックの一つとして、意識的な呼吸法を実践することを挙げています。言い換えれば呼吸のパターンを変えることで、脳と神経系の神経活動に影響を与えることができます。思考が落ち着くと私たちは受容性を体現し、明晰な思考に達することができます。
ジヴァムクティヨガのヴィンヤサクラスでは、ウジャイー呼吸(一般的には鼻から4カウント吸い4カウントはく呼吸を声帯の近くでささやくような音を立てながらクラス中ずっと繰り返すこと)を継続的に行うよう指導されます。どんなアーサナを練習していても、それが今までで最も簡単なものでも最も難しいものでも、呼吸は穏やかな吸うとはくのパターンを保ちます。これは外の世界でストレスを感じた時平静を保つために、このタイプの呼吸法を活性化する必要があるであろうトレーニングで、疲労や明晰さの欠如、混乱につながる可能性のある機能しないの呼吸習慣を取り除くための練習です。
呼吸は自律神経系の一部であり、私たちは意識することなく呼吸しています。しかし呼吸は意識的な行為の領域にも持ち込むことができます。意識的な呼吸は肉体と微細な身体をつなぐ架け橋です。プラナヤーマはYS 1.34で言及され、さらに八支足の一つとして説明されています(YS 2.29参照)。これは初期のヨーガ実践者によって開発された古代インドの修行であり、意識的な呼吸の側面を洗練させることで、望ましい精神状態または感情状態に到達することを目的としています。プラナヤーマのテクニックは、様々な実践において内側または外側で呼吸を止めることで私たちのプラーナ(生命力)を高め、神経系を微調整します。プラナヤーマはプラーナを長くする、拡張する、高める、または方向付けると定義されることもあります。ハタ・ヨガ・プラディピカ、ゲーランダ・サンヒター、シヴァ・サンヒターなどにもプラーナヤーマの実践法が概説されており、これらの実践法は指導者や系統によって、非常に多くの方法で教えられています。まずはシンプルで分かりやすいテクニックから始め、時間をかけてじっくりと上達の様子を見てみましょう。プラナヤーマを実践する際の重要な要素の一つは、スティラ(安定)とスカム(心地よさ)の状態を保つことです。もし無理な動きや緊張、不安を感じたら、それは必要以上にやりすぎているということです。休憩を取り、別の日に再開しましょう。
ヨーガの実践はバランスの取れた人間になる機会を与えてくれます。無意識に覆い隠されていた自身の側面を意識に呼び起こし、現代社会や混沌とした思考に伴う頑張りやストレスを手放す機会を与えてくれます。意識的に呼吸をすることは内なるクレイジーさを静める一つの方法です。”心が静まるところに呼吸は止まる 呼吸が止まるところに心は静まる”
-ハタ・ヨガ・プラディピカ 4章23番
著者: Julie Kirkpatrick ジュリー カークパトリック
訳: Yuri OGAwa ユリ オガワ
マルティナ・ダルミナ・フェーブレ 著 | 2025年9月
(翻訳:akky)
師はブラフマー(創造主)であり、師はヴィシュヌ(維持者)であり、師はシヴァ(完成者)であります。
師は至高の証人、最高のブラフマンであります。
その師に礼拝を捧げます。
~ マノラマ訳
私たちの創造は師であり、私たちの命の時間は師であり、試練や病や災難もまた師であります。
師はすぐそばに在り、さらに彼方の彼方にも在ります。
私は謹んで師に供養を捧げます。
無知を取り除き、美しく啓示をもたらす原理として、常に私の内に、そして周囲に存在する師に。
~ シャロン・ギャノン解説
この詩句は「グル・チャンティング」として親しまれており、『グル・ストートラム』に収められた美しいシュローカの一つです。『グル・ギータ』という、師への深い献身を歌う聖なる歌から取られています。
近年「グル」という言葉は残念ながら否定的な響きを帯びてしまいました。自己を「グル」と称して人々を傷つけた不幸な事件が原因です。しかし、本来の「グル」が示す意味は純粋で神聖なものであり、知恵と愛の具現です。ここで述べる「グル」とは、闇を取り除く存在であり、決して害をなすことのない、地上に神を映す原理そのものです。グルは個人を通して働くこともありますが、常に私たちの内に、そして周囲に存在しています。
“2025/9 闇の中の灯台” の続きを読む