アヒムサを超えて:制御と解放 by Jessica Stickler / May, 2022

सर्वे भवन्तु सुखिनः  

सर्वे सन्तु निरामयाः।

सर्वे भद्राणि पश्यन्तु

मा कश्चित् द्दुःखभाग् भवेत्।।

sarve bhavantu sukhinaḥ

sarve santu nirāmayāḥ

sarve bhadrāṇi paśyantu

mā kashchit duḥkha bhāgbhavet

あらゆる存在が幸せであるように。
あらゆる存在が病から自由であるように。
あらゆる存在が他者の美点を見るように。
誰も悲しみに苦しまないように。

ヴェーディックの祈り

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Mar. 2022 真実、知識、至福、完全

By Jules Febre

ॐ सत्यं ज्ञानम् आनन्दं ब्रह्मा ॥Satyam Jñanam Ānandam Brahma

ヨガは非常に広い範囲を網羅する言葉です。 それは、最終結果だけでなく実践も表すことができます。ヒマラヤに由来するヨガの伝統と、新たに認識されて西にもたらされたヨガの伝統があります。 ヨガという言葉は多くの人々によく知られるようになり、おそらく誰かに「あなたはどのタイプのヨガを練習・学んでいますか?」と尋ねたこともあることでしょう。 それぞれが独自の明確な解釈、教え、信念を持つさまざまな方法論があることをある程度理解します。 私たちは 名前と形、相違といった、ナマnamaとルパrupaに満ちた世界に住んでいます。 スピリチュアルな修行により自分を探している場合、相違は特に重要となります。 伝統や方法論に真に没頭する前に、まず非常に単純な一連の質問をして調査する必要があります。私が探しているものとこの方法、又は、この伝統は私の価値観と一致しているのかを。

一見、私たちはみんなそれぞれ違うという事を言う必要はないように思えるかもしれません。 それでもそれは重要であり、さまざまな伝統やリネージ(系統・血統)に反映されています。 それぞれが重要視する問題、儀式や奉仕を強調することに関して微妙な相違があるのかもしれません。 それらの違いが何であるかに応じて、私たちはさまざまな方法論に引き寄せられたり、遠ざけられたりすることできるでしょう。 そもそも何が「スピリチュアルな修行」に私たちを惹きつけましたか? 私たちが達成したいことは何で、私たちは何を探し求めていますか? スピリチュアルな修練は、自分自身で何かがおかしい、または自覚していないと感じているために、私たちに呼びかけることがあります。 私たちは、私たちの周りの世界について教えられてきたコアな概念について深い疑問を経験するかもしれません。 この疑問は、私たちが世界の困難、苦しみ、または一時的な性質を循環するときに、不安定さや不幸を経験する原因となる可能性があります。 かつて私たちの世界に対する基本的な理解がもはや満足のいくものではないことに気づき、そこから霊的な旅が「始まる」ことでしょう。

さまざまなリネージと方法論の違いが重要になります。なぜなら、それらの基盤が私たちのコアな価値、状況、又は望ましい方法と一致しない場合、どのように修練を持続するために必要なモチベーションを得ることができることでしょう。 私たちが尊敬できるカリスマ教師や他の実践者を見つけることができたとしても、その道が私たちにとって正しくない場合、それに影響を与えるために必要な時間を費やすことは不可能でしょう。 私たちはその関係を通して自分が望み、安定し、楽しい繋がりを見つけることができないかもしれません。 各リネージの基盤を探求し、それらを深く調べることで、私たちの基本的な信念への洞察が得られます。 このメソッドは私をどこへ導き、また、どのようにそこへ辿り着くことができるかなどは役に立つ問いかけになります。

たとえば、本来のジヴァムクティJivanmuktihという言葉は、「生きていながら解放された人。 まだ世界で活動していて、他の人からは個人として見られているが、経験の中核としてその独立した自己を持っていない人。」 目的としては、この体が過ぎ去った後や、この体と世界を置き去りにするために修練をするのではなく、私たちが生きている間に超越的な意識を見つけることです。 私たちはこの生涯で悟りを開くことができないかもしれないし、確かに自分自身で設定するには非常に高い目標です。 しかし、主権や解放に向けての過程で、私たちは次第に気づき、親切で、優しく、思いやりのある者になれるかもしれません。

ジバムクティは5つの教義に基づいています。アヒンサー:非暴力、バクティ:献身、ディアナ:瞑想、ナーダ:音、シャーストラ:賢者の教えを学ぶ。 これらを基盤として、多くの実践に応用することができ、芸術的な創造性をこの旅にもたらす事が可能です。 私たちに求められているたった一つのことは、ゴールである「自由」又は「解放」を覚えていることです。 私たちの心は彷徨っても基盤となる教えは私たちをサポートし、連れ戻してくれます。 私たちは時々確認するだけで良いのです。 私たちの行動は、これらの基盤と一致しているか、これらの基盤から来ているのか。 私たちの実践のおかげで、その安定し楽しい性質をより感じているのか? 以前のヨガの修練から欲しかったものが今も欲しいのか? ヨガは私たちに何を求めているのか?

2022/2月ドラッグの中の神

by Ian Szydlowski-Alvarez |

 पूर्णमदः पूर्णमिदं पूर्णात्पूर्णमुदच्यते  

पूर्णस्य पूर्णमादाय पूर्णमेवावशिष्यते  

 शान्तिः शान्तिः शान्तिः 

oṃ pūrṇam adaḥ pūrṇam idam pūrṇāt pūrṇam udacyate 

pūrṇasya pūrṇam ādāya pūrṇam evāvaśiṣyate 

oṃ śāntiḥ śāntiḥ śāntiḥ

オーム プルナム アダ プルナム イダ プールナートゥ プルナム ウダチャテ プールナシャ プールナム アーダーヤ プールナム エヴァヴァシシャテ 

オーム シャンティ シャンティ シャンティ

イシャ ウパニシャッドより

あれは全体である。これは全体である。全体から全体が明らかになる。全体から全体では無くなった時、残ったものも再び全体である。

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2021/12 The Yoga of Relationships 「関係性のヨガ」

トゥヴァメヴァ マタ チャ ピタ トゥヴァメヴァ
トゥヴァメヴァ バンドゥシュ チャ サカハ トゥヴァメヴァ
トゥヴァメヴァ ヴィディイヤ ドラヴィナム トゥヴァメヴァ
トゥヴァメヴァ サルヴァム ママ デヴァ デヴァ
「神よ、あなたは我が母、我が父、親族、友、知識、富、あなたはわたしのすべてです」

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2021/11 LIFE IS COSMOS, NOT CHAOS

生命はカオスではなく、秩序と調和の宇宙である

निर्माणचित्तान्यस्मितामात्रात् 

nirmāṇa-cittānyasmitā-mātrāt (PYS IV.4)

ニルマナ-チッタニヤスミタ-マトラト

क्षणप्रतियोगी परिणामापरान्तनिर्ग्राह्यः क्रमः 

kṣaṇa-pratiyogī pariṇāmāparānta-nirgrāhyaḥ kramaḥ (PYS IV.33)

クサナ-プラティヨギ パリナマパランタ-ニルグラハヤ カルマハ

個人の意識は宇宙の意識から来るのか、もしくは自己は自己から生じるのか。(PYS IV.4)

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2021/10


sarve bhavantu sukhinaḥsarve santu nirāmayāḥsarve bhadrāṇi paśyantu mā kaścid duḥka-bhāg bhavet
May all be happy.May all be free from sickness.May all look to the good of others.May none suffer from sorrow.—Vedic prayer
サルヴェ バヴァントゥ スキナハサルヴェ サントゥ ニラーマヤサルヴェ バッドゥラニ パシャントゥマカシッ ドゥッカバーガヴェ
全てのものが幸せでありますように全てのものが病から自由でありますように全てのものが他者の善に目を向けることができますように誰も苦しみ悲しむことがありませんように
-ヴェーダの祈り

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2021/09

Focus of the month September   A Simple Acorn ほんの一粒のドングリ   

サルヴェシャム スヴァスティル バヴァントゥサルヴェシャム シャンティル バヴァントゥ サルヴェシャム プルナム バヴァントゥ サルヴェシャム マンガラム バヴァントゥ 

(すべてのものに幸運がありますように すべてのものに平和がありますように  すべてのものに豊かさがありますように すべてのものに繁栄がありますように)  

私の祭壇には、何の変哲もない素朴なドングリが一粒供えてあります。
小さなドングリですから、私の手のひらにすっぽり収まるほどです。
そうして毎日ドングリを手にすると、このフレーズが頭に浮かぶのです。
「大きな樫の木も小さなドングリから生まれでる」と。
この小さなドングリの中には、大きな樫の木の森全体を作り出せるほどのポテンシャルが秘められているのです。
必要なのは、地面に植えてもらうこと、発芽するための時間、成長するための時間、栄養を与えられる時間、するとドングリは内に秘められた本質的な可能性のすべてを実現し成し遂げてしまうのです。
ドングリは平和のシンボルと考えられていますが、ほかにも繁栄を意味するとされており、この小さな1.2粒の種の中にスピリチュアル(精神・霊的)な成長が納められているのです。 
 1969年にジョン・レノンとオノ・ヨーコが始めたのがピースプロジェクト(平和のための運動)です。
彼らは小さなケースにドングリを2粒入れて、世界のリーダー達に手紙を添えて送りました。
それはドングリを植えて世界平和を広げようというもので、ジョン・レノンはその活動を「ギヴ・ピース・ア・チャンス(平和にチャンスを)」とよんでいます。のちに彼はインタビューに答えて、こう説明しています。
「送ったドングリに対して反応してくれる人もいたよ、実際にドングリを植えたって言う何人かの首長たちもいたし、植えたドングリについて返事を書いてよこした人もたくさんいたんだ。僕らは実際ほんとうに世界中のみんなにドングリを送ったんだ」。
平和の活動家であったジョン・レノンとオノ・ヨーコは、その活動をプラットフォームとしてその時代の世界の権力機構や政府や政治体制にあえて議論を喚起する会話を求めました。
レノンはさらにヒッピー達の活動はうまく機能してこなかったと明言し、だからこそ私達が新しいムーブメント(活動・運動)に再びトライするべきだと述べました。
  「平和」という言葉は、不安(動揺)からの自由(解放)という意味や、暴力がないこと、戦争がない状態または戦争が終わっている期間を意味します。
人類はその歴史を通してずっと、抑圧された人々や、弱いと見なされている人々、自分のために声を上げることができない人々に対して、戦争を遂行してきました。
こうしたことが起きるのは、私達自身の内にあるアヴィディア、つまり深く根ざした不安・動揺があるからです。
アヴィディアはヨガでいうところの5つのクレシャのひとつで、他者への行いが最終的には自分に返ってくるという知識を間違って誤認している状態なのです。無知な状態でいることは平和な状態であるとは言えません。
不安・動揺から自由・解放されるためには、何が私達を不安におとしめているのか、その根底にある原因にまで深く掘り下げるべきなのです。
それこそがヨガが私達に教えてくれていること、つまり物事の表面じゃなくその下まで深く突き詰め、私達の心と体と知性を動揺させ不安にさせているのは何なのかを見つめることです。
内なる根っこを深く掘り下げてみると、平和を具体的に実現する心の落ち着き・均衡(バランス)を作り出せるのです。
落ち着いた心の状態、そこからこそ平和の種を自分の中に植え付蹴ることができ、ひいては周囲にもその種を植えることになるのです。
この平和こそが、あなた自身の本質であり、それは喜びに満ち、穏やかで、満ち足りたあなたの本来の姿です。  
戦争を始めてしまう循環のただなかにありながらも、私達はその歴史を通して、反戦活動およびその運動を始める個人を含めた平和のための運動も、同じように湧き上がったことも知っています。
そうした活動は、立場や立ち位置の変化をもたらし、ある一定の考え方・アイディアを持つグループにいる人がその意見を変えたり個人の生き方を変えたりすることもあるとされています。たとえばガンジー、マーティン・ルーサー・キング、そしてグレタ・トゥーンベリなどを見ていればわかるように、こうした考え方・アイディアを持っている人はその時代にインスピレーションを与える力を持っています。
たった一人でも、その平和的な抗議や行動で、政治的・社会的な変化に影響をもたらすことができます。
BLM(訳注:「黒人の命も大事だ」という人種差別に抗議する社会運動)もそうだし、地球環境の気候変動活動(訳注:グレタ・トゥーンベリなどがその筆頭の活動家)、そして動物の権利を訴えるキャンペーン活動(訳注:アニマルウェルフェア、動物愛護の運動)なども、社会に前向きな変化をもたらそうという活動メッセージを掲げ続けています。
けれど、どんな個々人のグループに対してであっても、彼らに暴力的な行動を起こすのは平和の真逆の活動です。
ドングリは最近では「膝を折っても抗議する」運動(訳注:アメフト試合の国歌斉唱を拒否して片足膝立ちすることで人種差別に抗議することからはじまった運動)でもシンボルとして知られるようになりました。
  私達の師にとってのグルであるスワミ・ニルマラナンダ師は、平和な生き方・あり方を推し進めるために、その生涯をかけて世界のリーダー達に多くの手紙を書きました。
彼は瞑想が自分自身に回帰する方法だと教えを説きました。静かに座り、一カ所に居て、そして自分のマインドに向き合うのです。
この自己質疑の中心・核になるところに、私達の本来の自己(訳注:大文字のSelf=自己にある神聖)がその姿を見せるのです。
ニルマラナンダ師は彼の著書「ガーランド・オブ・フォレスト・フラワー」の中で次のように述べています。
「私達ひ一人ひとりは平和で自由で幸福のうちにある自分の宿命を手にするため、自主的であるべきだ。
その自主・自由は決して他者の権利・利益を傷つけるものであってはいけない。リシ達は毎日の瞑想の終わりに、「世界のすべてのものが幸せで豊かであるように」と祈ったのだ。彼らのメッセージの中心にある大事な要素は本来の自己(自己にある神聖)を実現すること、そして平等な視点を持って均衡のとれたマインドで生きることだ」。
  シャンティ・マントラ(平和のマントラ)である「サルヴェシャム スヴァスティル バヴァントゥ」は「ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド」に由来があると知られていますが、その教典のオリジナルのままではありません。
その時代に森で修行するリシ達・ヨギ達は、本来の自己(自己にある神聖)を理解したいという関心を持っていた求道者達に対して、その知識・理解は万物の中に普遍の存在があると認識することで得られるのだ、と教えを授けました。すべてのいきとしいけるものに幸福を、平和を、豊かさを、繁栄を、と切望することで、「他者」という考え・態度が消えて、「ヨガ=結びつき・繋がり合う」ことで自由な心の状態が育成されるのです。
「アヒムサ=無害である状態・非暴力」という言葉は平和を推し進めようという姿勢・態度でもあるのです。
ヨガでは、「ヤマ」のうち「アヒムサ」とはパタンジャリ師によるヨガ・スートラにおいては第一のステップです。
パタンジャリ師はヨガスートラ2章35節でこのように述べています。

「アヒムサ プラティシュターヤーム タット サンニダウ ヴァイラ ティヤーギャハ」つまり、他のいかなる他者に対しても害を与えない(傷つけない)ことで、いかなる他者も私達を傷つけることはない。
この教えはヨガに関心のある人になら明瞭にわかりやすいメッセージであり、自分の行動や他者に対する行いに敬意を込めて、尊厳を込めて、そして愛を込めてすることであれば、それは悟りと幸福へ通じる道となる、と伝えるメッセージなのです。  私達はヨガという活動につながっていますが、それは私達の先生や、さらにもっと前の彼らの先生(師)から、ずっと継承されてきたもので、いまも私達を励まし続けてくれます、すべてのもの(いきとしいけるもの)への平和を熱望しなさい、と。
平和を望む活動を過去から現在へと継承して繋げていくことです。
あなた自身の心に、平和の種をまきましょう。
あなたの行動をすべてのもののための自由と平和に捧げましょう。
私の祭壇には、何の変哲もない素朴なドングリが一粒供えてあります、小さな一粒ですが、毎日わたしに思い起こさせてくれます、偽りのない心をこめた行動意志から生まれ育つのは何なのか、と。
(アンドレア・キアトコスキ著)

2021/8 TIME IS ON OUR SIDE時間は私達の味方

क्षणप्रतियोगी परिणामापरान्तनिर्ग्राह्यः क्रमः
kṣaṇa-pratiyogī pariṇāmāparānta-nirgrāhyaḥ kramaḥ転変の成功(中断されない刹那の連続)は、それらの刹那を超越し、終極にある場合にのみ、明確な刹那として認識されます。パタンジャリのヨーガ・スートラ4章33節

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